指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

たどり着けないフランツ・カフカ。

 いつかはその作品を全部読破したいと若い頃から望んでいて果たしてない作家というのがいる。どなたにでもいるんじゃないかと思う。個人的にはウンベルト・エーコとかホルヘ・ルイス・ボルヘスとか数え上げれば切りがない。ただしその中でもいちばん読みたいひとりを挙げろと言われたらこれはもうはっきりしている。フランツ・カフカだ。「変身」は何度か読んだことがある。「審判」と「城」も文庫版は持ってる。でも読んでない。いや何度か読もうとはしてみたし実際に最初の何ページかは読んだ記憶もある。でも挫折している。どうしてかと言われても随分昔のことなのでもうよく覚えてない。ただいつかは読まなきゃと強迫観念のように思い続けてることだけが確かだ。
 今回五月六月と続けて「文学紹介者」という不思議な肩書きをお持ちの頭木弘樹さんという未知の方の編による「決定版カフカ短編集」とこちらは編訳による「カフカ断片集」が新潮文庫で出た。最近は新刊が出ても自分にとって余程大切な作者でない限り買わずに図書館で借りることが多い。今日も国書刊行会から出た諏訪哲史さんの「昏色の都」と町田康さんの「ギケイキ3」の準備ができたと図書館からメールが来たので近く借りに行く。前者は区に蔵書がなかったのでリクエストして買ってもらったものだ。おふたりとも自分にとってはかなり大切な作者だ(った?)けど買わずに借りることにした。でもカフカのこの二冊は即決で買った。プールのお客さんのワミさんからいただいた図書カードを初めて使って。それで先に出た短編集の方は二作目の「火夫」を読み終えたところで力尽きた。以来塾の机の上に放りっぱなしにしてある。そしたら借りて読んでいいかと子供が昨夜尋ねるので喜んで貸した。余談だけどそういうのってほんとにうれしい。自分が読んでるものに子供が興味を持ってくれるというのは。もう一冊の断片集の方はかなり短い断章も多いので寝酒をやりながら少しずつ読み進めてきた。今日は三ヶ月に一度の通院日だったので待ち時間に読もうと思って持って行きそのまま塾が始まってからも読み続けて読み終えた。それでカフカの作品についてかなり明確なイメージを持てた気がしたのは編訳者の解説のおかげと言っていい。もしもカフカに少しでも興味がおありならなのに若干の近寄りがたさを覚えておられるのならその「編訳者解説」の四十ページ足らずを読むためだけでもこの本を手に取る価値はあると思う。そこからカフカに対して僕が抱いたイメージは作家像という静止した画像を持たない作家とでも言えばいいようなものだった。カフカの作品の大部分は完結していない。「城」や「審判」でさえ未完だという。ご存じでした?僕は知らなかった。たとえばひとりのお気に入りの作家にアプローチするとき極言すると全集を読破しさえすればそれで一応のおしまいと見なしがちなんじゃないかと思う。僕にもそんな風に思ってるところがある。でもこの本を読むとカフカに限って言えばそんな作家像の完結を目指す試みはどこまで行ってもカフカにたどり着けない誤った方法なんじゃないかという気がしてくる。カフカはあくまで断片の作家であり未完の作家だ。完結を求めて作家像を昆虫採集みたいにピン留めしようとするより未完の断片(編者によればカフカにあっては長編でさえ断片だということなので)に対する絶え間ない接触を通して作家像がアメーバ状に変容するのを追う方がはるかに有効な手段なんじゃないかと思えて来る。それが編者の言葉によると「なにがなんだか、さっぱりわからない」未完の断片を書き続けた作家フランツ・カフカを読むときのより正しい心構えのような気がする。全部読んだらそれでおしまいではない。全部読んでからこそ始まる何かがある。と言い換えるとおよそどんな作家にも当てはまるようにも感じられるから不思議だ。ことほど左様に確定し完結させすでに終わった話にすることに僕はこだわりすぎていたのかも知れない。それに気づかされたことがこの本を読んだ最大の収穫なのかも知れない。気づいたからと言って明日からの読書がそのスタイルが即座に変わるというものとも限らないけど気づかないよりは少しマシだ。と思う。それから本書に収録されてるカフカ自身の手になるイラストが割に味わい深いことを付記しておく。
 今日のスイムは24分53秒で千メートルと本当に久々に25分を切った。もちろん昨日のタイムに業を煮やしてことさらがんばった訳ではない。いつも言うようにペースは体が決めるし僕はそれに着いて行くだけだから。