指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ギケイキ3。

 今このブログを検索すると「ギケイキ」の一作目を読み終えたのが2016年ということになってる。もうちょっとで十年経ってしまう。「ギケイキ2」については記述がないみたいだ。でも義経静御前と別れその後義経と敵対する勢力に静が捕まってしまうシーンを読んだ記憶があるし本を持ってた覚えもあるのでまず間違いなく2も読んでると思う。ひとつはっきり覚えてるのは四巻本の二巻目の終わりで静と別れてしまってあと二冊分何を書くことがあるんだと歴史に詳しい家人に尋ねたことだ。それに答える形で書いておくと本作は義経が静と別れた後も敗走を続けるところから静が母親の磯禅師と共に鎌倉へ引っ立てられ頼朝の前で歌と舞を披露してから京に戻されるまでが書かれている。ちなみにアマゾンで調べると2が出たのが2018年。3は去年2023年だから一冊が出るペースは確実に遅くなっている。昨日も触れた通りこの分じゃ4がいつ出るかは予想もつかない。辛抱強く待つか掲載誌を追っかけるしかない。ただ文芸誌を読む習慣というのがないし続きを気にしながら細切れに読むのも業腹なので待つしかないかも知れない。書き抜いておいたのはこんなところ。

(前略)しかしまあ昔も今も上下貴賤の別なく人間はこんなものだ。美しく歌ったところで、根底にあるものは同じ。私は美しい言葉を弄ぶ奴の心の奥底で常に銭と欺瞞のフェスティバルが開催されていることを知っている。えへへ。(後略)

 「私」とはこの作品の語り手である源義経を指している。この「人間はこんなものだ。」というのがこのシリーズ全編を貫く人間観だと思える。卑小で自分勝手で愚かしい人間群像。ただしそれを免れている登場人物もほんの少数いて彼らの姿は神々しい。そしてその神々しさが「こんなもの」に過ぎない人間をより「こんなもの」におとしめている。おとしめられた「こんなもの」達にも救いはあるのか。それともどこまでもおとしめられたままで終わるのか。それに対する価値判断は作者にはないような気がする。ただ「こんなもの」が「こんなもの」として淡々と描かれるだけだ。でもそれがおもしろい。なにしろこのシリーズは読んでいてシンプルにおもしろい。これがあるからこの前の「ホサナ」みたいな作品も我慢して読んじゃう訳だ。我慢してって書いちゃったけど。
 今日のスイムは24分57秒で千と辛うじて25分を切った。昨日ほど時間がなかった訳じゃないので気持ちゆっくり目に泳いだつもり。ただしその後のバイトはつらかった。なんの疲れかわからないけど疲れがどっと出た感じ。久々に家人と買い物に行けたので少しはリフレッシュできたけど。まーさんに蒟蒻畑のコーヒー味をもらって食べたらおいしかったのでなんだかコーヒーゼリーが食べたくなって買ってきた。コーヒーゼリーって割に好きだ。夕食が済んだらデザートに食べよう。千メートル泳いで千字以上書く二冠のみ達成。