指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

生命力。

 受験生のときに古文の問題を解いていて説話集というのは今読んでもおもしろいんじゃないかと感じたのはたぶん僕だけではないと思う。「今昔物語集」や「十訓抄」や「古今著聞集」にこの「宇治拾遺物語」などなど。でもそうは言っても原典に当たるというのはなかなか難しい。やはり古典の文法というのは敷居が高いし用語だって今とは随分違う。ちなみに古典を読むのに必ずしも原典をひもとく必要はないと教えてくれたのは吉本隆明さんだった。これは原典を読むべきとかたくなに思い込んでた自分にとっては福音に感じられた。ただ吉本さんご自身は古文をある程度読み下せたんじゃないかと思う。「源氏物語論」なんかを読むとところどころに私訳が挟み込まれてるのでそう推測できる。それはさておきそれ以降いくつかの古典の名作と言われる作品を現代語訳で読もうとしてみた。でも結局ひとつも読み通せなかった。だからこの前の「口訳 古事記」が読み通せたのは自分なりにはひとつの達成だったかも知れない。ただこれは古事記への興味と言うより町田康さんの作品で未読のものはこの機会に全部読んでおきたいと思ったという動機付けによる。今回「宇治拾遺物語」を読み通せたのも同様だ。でも最初の方に書いた理由で古事記よりは期待度が高かった。
 二百近くあるお話の中の三十三話のみを抽出しての訳なのでこれをもって「宇治拾遺物語」を全部読んだということにはならない。でもその独特な世界の雰囲気は存分に味わうことができる。こぶとりじいさん芥川龍之介の短編の元になったお話はもちろん興味深い。ただ個人的な印象としては性と排泄を扱ったお話が意外に多いというのが強い。それと嘲笑や哄笑を含めた笑いの要素も多い。それらは読者に飾り気のないあからさまな生命力の強さを感じさせる。倫理とか価値判断とかに囚われない生(なま)の生命力だ。それが不思議と明るい読後感をつくり出す。もちろんそれはシンプルなストーリー展開のせいでもあるんだけどその割には見たことのないひとつの異世界をきちんとくぐり抜けて来たという実感も持ち合わせている。たぶんそれが古典を読むことならではの実感なんじゃないかと思う。そしてそれならば今さらながらとは言え古典の現代語訳をまとめて読むのもアリなのかなという気にさせる。もっともこうした印象になるのは町田さん独特の訳し方があればこそなのかも知れない。他の方が訳されたものも読んでその辺が見極められればより楽しくなる気がする。