十月のバイトはプールがほとんど休みだったせいで手取り四万五千円くらいにまで落ち込んだ。ただし三日間しか出勤しなかった割にはまあまあかなという気もする。思いついて十日間有給休暇を取ったのが意外に大きかった。それが三万円弱になった計算だ。月の出勤数が規定を充たしているので社員と同じ日数の有休がもらえる。もちろん一日あたりの金額は社員よりもぐっと下がるんだろうけど一昨年は十日去年は十一日と有休の日数は年に一日ずつ増えてる。確かこのまま十年勤め続けると年にもらえる有休は最大二十日間まで増えるんだと思う。前の会社がそうだった。もっとも年に二十日もらえるようになった後に二年続けてまったく有休を消化しないと上限の四十日に達してしまいそうなると三年目には一年目の二十日は消えてなくなる。実際それで何十日かは有休を失ったと思う。ある時期までは休みなんて滅多なことじゃ取れる環境じゃなかったし遠慮もあったし。途中で経営母体が替わってからはコンプラが重視されて積極的に取れという話になったので割に頻繁に取ってたんじゃないかと思う。でももう随分昔のことだ。会社を辞めて今月初めで十二年が経った。とここまで書いて来て突然気づいたことがひとつある。
前にも書いた通り大学に入ったときは周囲がほんとに優秀な人たちばかりで話すのが楽しかったしこちらの言うこともとてもしっかり受け止めてもらえた。確かに骨の太い個性派揃いではあった。でも自分の個性を追求するばかりでなく相手の個性を認め理解を示す力を多くの人たちが備えていた。そんな環境はほんとに生まれて初めてだったのですごく楽だったしうれしかった。今はわずかに彼らのうちの何人かと年賀状のやりとりをするだけのつき合いになってしまったけど親しみは遠くからずっと感じ続けている。ただしこれほど優秀な人たちに囲まれた経験は社会に出てからは一度もない。人たちどころかひとりの優秀な人にもなかなかお目にかかれない。前の会社も今思えばどうしようもない人たちばかりだったし業界全体を見渡しても同様だった。ひとりこの前触れたpechikaさんだけは格が違ったけど希有な例外だ。塾を始めてからは今のところが三ヶ所目のバイト先となる。でもどこへ行っても優秀な人なんていなかったし今のところにもいない。今のところなんて極端な言い方をすれば揃いも揃って馬鹿ばっかりだ。特に社員がひどい。敬語ひとつまともに使えやしない。もちろん親しみを感じさせてくれる人というのはこれはどこにでも何人かはいる。でも彼らが優秀かどうかは自ずからまた別の話となる。それはお前が社会の底辺ばかりを歩いて来たせいじゃないのかと言われれば返す言葉もない。前の会社で二十二年ちょっと勤めて辞めた後十二年が経った。大学を出て三十五年近くの間自分はわずかな例外を除いてずっとろくでもない連中とばかりつき合って来たことになる。そういう風に考えたことはなかったけどさっきそれに気づいた。そのことで自分自身がどの程度下方修正されたのか。それはちょっとわからない。もしかしたらいっぱしの下衆野郎になり果ててしまったのかも知れない。
ただしその三十五年のうち二十五年を家人がともに歩いてくれているのは救いだと思う。彼女は子供と僕に最大限の関心を払ってくれるし話も真剣に聞いてくれるし気遣ってもくれる。そして彼女には何よりも豊かな想像力がある。それが僕の心をどんなときも変わらずに温めてくれる。もしもひとりぼっちで歩いて来たとしたら今頃僕の目の前には恐ろしいほど荒涼とした風景が広がっていたことだろう。