指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ある種の言葉がどうも肌に合わない気がする。

 法律に関する新書のタイトルがおもしろそうだったので図書館で借りた。それで読み始めたところどうも法律の用語というのが自分には肌に合わない気がして来た。法学部出身なんだけどほんとに必要最低限を下回るくらいしか法律の勉強をしなかった。それは小説ばかり読みふけっていたりつき合ってた女の子にうつつを抜かしてたりで無駄に時間を過ごしていたせいだと思ってた。でもほんとは法律の言葉というのが若い頃から苦手だったのかも知れない。そう思いついてみるとそんな記憶もうっすらあるような気もする。新書だから誰にでもわかりやすく書いてあるんだろうし実際順番待ちの末にやっと借りられたほど多くの人に読まれてるんだけどそういうのとは無関係にうまく理解することができない。さらに順番を待ってる人もいるようなので早々に諦めて返却してしまおうかと考えている。
 そんな風に個人的には読みづらいタイプの言葉というのが結構あるかも知れない。まず新聞が読めない。独身のときはほぼテレビ欄のためだけに新聞を取ってたし結婚してからは家人が読むので取ってた。マスコミ志望だったので就職活動のときには新聞が必須アイテムだったはずなのにそれでも新聞を読む習慣というのは身につかなかった。自分ではあまり世の中のことに興味がないからだと思ってた。でも今にして思うと単に読むことが苦手だっただけなんじゃないかという気がする。同列で雑誌を読む習慣というのもない。会社のパソコン担当になったときは一時期「週刊アスキー」とか読んでたけどそういう意味じゃなくて「週刊文春」とか「週刊新潮」とかいう雑誌のことだ。前職では新幹線での出張なんかも結構あった。でも週刊誌を買って読むという発想はなかった。自分とは無縁な行為と思ってた。そう言えば文芸誌も読まない。ただこれは理由がはっきりしてて連載の続きを待つのが嫌いだからだ。完結してからまとめて読みたい。それから一部のマニュアルも読めない。読まなくてはいけないときはひどく苦労しながら読む。個人情報保護関連のテストをバイト先で近々受けなければならずそのためのマニュアルが置いてあるURLをもらってるんだけどなかなか重い腰が上がらない。他のバイトの人たちは大部分がもう済ませてるみたいなのに僕だけがぐずぐずしてる。ほんとはそんなもの金輪際読みたくないと思ってるんだと思う。
 以上の原因を考えると自分にとって読む意味のあるものと見なされない文章は読めないということになるかも知れない。あるいは可能性はもうひとつあってそれは器質的に読めないんじゃないかということだ。つまりなんらかの障がいがあるのかも知れない。もっともそんなものがあったとして今さら診断がついたところで治療する気もないしその必要もない気がする。六十過ぎまでこれでやって来たんだからこれからもこれでやって行くまでの話だ。
 書き忘れた昨日のスイムは24分34秒で千と辛くも25分を切った。今日は24分53秒と土俵際まで追い詰めらている。明日押し戻せるか。このまま寄り切られるか。