指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ブログを書くのは人と交流したいからではない。

 最近はてなの中にいくつか新たにお気に入りのブログを見つけて拝読するようになった。皆さんそれぞれの日常をそれぞれの生活観に基づいて丁寧に送ってる。ブログのキャリアが長い方も短い方もいる。でもそれはあまり問題じゃないのかも知れない。短い方の中にもそれぞれの独自な暮らし方を手触りのしっかりした言葉で綴る方がいる。そういう端正な文章を読むのが好きだ。どこかに自分のものとは異なった暮らし方が日々息づいているんだと実感できるととても新鮮な気持ちになれる。還暦過ぎの凝り固まった価値観では真似してみようとかまでは思うことができないかも知れないけど自分とは明らかに違うリズムに従って暮らす生き方があると思うと自分がそういう生き方を選ぶにはどういう条件が必要だったんだろうかとか今そういう生き方を選んだとしたら僕たち(家人と子供と僕)の生活はどう様変わりするんだろうかとか想像が膨らんで楽しい。しばしの白日夢(実際は夜のことが多いんだけど。)に浸ることができる。束の間の忘我の境地に遊ぶことができる。
 でも今僕がブログを書いてるのは誰かと交流したいからではない。もっともかつてプロバイダが貸してくれる五メガバイトのウェブサーバで初めてのウェブサイトを開設した頃はそうではなかった。1997年のことだ。ウェブという存在の可能性はまだまったくの未知数で何もかもが手探りの状態だったけどその頃の僕はまだ見ぬ誰かとの出会いを漠然と思い描いてサイトを運営していた。誰かのサイトにBBSがあれば積極的に書き込みをしたし自分のBBSに書き込みがあれば丁寧にレスを付けた。誰からも悪く思われないようにネチケット(懐かしいな。)を守りできるだけ礼儀正しく振る舞おうと心がけた。今から思えばそれは誰かとめぐり合うための方法としてはひどく回りくどいやり方だったかも知れない。でも自分の手にかなう手段としてはそれはとても自然なことに思えたしサイトを持つことで世界が一気に広がったように感じてその広い世界でなら出会いの可能性もずっと高くなるような気がしていた。その結果何人かのとてもいい人たちと出会うことができたしそのうちの何人かとはオフ会とかで実際に顔を合わせたりもした。そんな模索を続けるうちに僕にとって決定的に大切な人との出会いがやって来た。後の家人だ。彼女と出会い結婚したことで僕はそれ以上誰ともめぐり合う必要がなくなった。それは今も同じで彼女さえいればコミュニケーションの相手にはこと欠かない。だからたとえばブログにコメントをもらえればレスするけど自分から他のブログにコメントすることは滅多にない。スターはできるだけ返すようにしてる。でも先方のブログにたくさんスターが付いてるときは今さら自分が付ける必要もないかと思って付けないで済ますことも多い。そういう意味でも僕がブログに望んでるのは出会いや交流ではない。
 じゃあ日々書き続ける理由はなんなのかと言うとかつてはそれについてよくわからなくて随分考えた。古いエントリをひっくり返せばブログを書く理由がわからないとどこかにはっきり書いてあるはずだ。でも今はふたつの理由を思いついて自分ではそれで結構納得してる。ひとつはこうした文章を書いたり推敲したりすることがとても好きでやってて楽しいからだ。もうひとつはこんなブログでもどなたかが読んで楽しかったり読んでよかったと感じたりすることがないとも限らないと考えてるからだ。「風の歌を聴け」に出て来る架空の作家デレク・ハートフィールドみたいに内容は稚拙であっても「文章を武器にして闘うことのできる」ブログを目指している。大変僭越ではあるんだけれども。
 今日のスイムは24分23秒で千メートル。割にいいじゃん。