指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

まじめなお話。

 中学生の英語の成績がガタ落ちしてると小耳に挟んだ。Yahoo!のヘッドラインではタブレット端末を使った授業をやめたら学力が回復したという実例もいくつか読んだ。ヨーロッパではすでに国家単位でタブレットを使った教育をやめたところもあるという。タブレットが現場でどんな風に使われてるかはよく知らないのでなんとも言えないんだけどもしもそれが生徒たちの理解を助けるために生徒たちから負担を減らすような方向で使われてるとしたらそれはあまりいい結果を生まないんじゃないかと思う。勉強というのは負担が大きければ大きいほど身につくものも多いようにできてるからだ。余程の天才でもない限りこのことに例外はないと断言できる。量だけで言えば相当勉強してきた自分が言うんだからこれは信用してもらっていい。それから英語で重要なのはこの前も書いた通り論理的な理解というのもあるけど単純に語彙数を増やすということも同じ程度かもしかしたらそれ以上に重要かも知れない。そして単語を覚えるというのはこれはどんなデバイスがあろうがなかろうが単語対自分という関係しかない。だから確信はないけどある種の教科に習熟することにとってタブレットが役に立たないばかりか場合によっては負の作用を及ぼすということもあるんじゃないかという気がする。ただ僕がここで言いたいのはタブレット廃止を促進しろということでは実はない。以前と比べて教科書がよくなくなったと言いたい訳だ。塾ではこれまで出版社の異なる二種類の教科書を扱ってきた。同じ英語でも何種類かある教科書の中からどの出版社のものを選ぶかを決めるのは東京で言えば区だ。その区が何年か前の教科書改訂時に採用する教科書を替えたのでそれまでのものとそれ以降のものとの二種類の教科書に目を通す機会を得た。それで忌憚のないところを言わせてもらうとどちらの出版社のものも相当ろくでもない代物だった。以下やや専門的なお話になるのでご興味のない方は端折っていただいて構わない。お話が終わったら段落を変えるので目印にしていただければ幸い。第一に英語というのはまずbe動詞の文と一般動詞の文とに画然と分かれる。この二種類は使い方に大きな違いがあるからだ。だからもう半世紀近く前に僕らが使った教科書ではそのふたつが混同されないような編集がなされていた。具体的に言うと一年生の初めではとりあえず徹底的にbe動詞の学習が行われそれがきちんと一段落したところで一般動詞が出て来る。つまり一般動詞の学習が始まるときにはbe動詞のイメージというのがある程度固まっていてそれがその二者を混同するリスクを軽減する工夫となっていた。ところが今の教科書はちょっとだけbe動詞の学習をしたらすぐに一般動詞の学習が始まりそれが少し続いた後にまたbe動詞の学習に戻る。そしてそのどちらもが中途半端な段階で助動詞canの使い方なんかが唐突に出てきたりする。これが初学者を混乱させないで済むとは到底思えない。こういうことをするからある疑問文に対して「Yes, I am.」と答えるべきなのか「Yes, I do.」と答えるべきなのかがわからなくなる訳だ。第二に教科書全体を通して口語表現が多すぎる。口語表現というのは往々にして英文法をきっちり守ってないのでこれもまたルールの体系である言語に習熟するには混乱のタネとなる。第三に短縮形が多すぎる。短縮形は文法的な解説を加えるのにそのままでは使えない。短縮してないもとの形にいったん戻さなければならずなんでそんな作業を強要されなければならないのか皆目見当もつかない。まずは短縮してないもとの形をベースに教えてオプションとして短縮形もあると教えた方が話はずっとすっきりするのにそれが逆さまになってる。第四に出て来る単語が多すぎる。一年間でこれ全部覚えなきゃいけないのというくらい多くの単語が一冊の教科書で出て来る。しかもこんなの知らなくてもよくない?と首を傾げたくなるものも多い。単語ばかりでなく熟語もまた然りだ。確かに語彙数は大切だと先ほども書いたけど数さえ覚えりゃいいってもんでもない。単語によって重要性というのがあるしそれが低い単語をどんなにたくさん覚えたところで成績にはつながらない。以上を要するになんでこんなひでえ教科書が大手を振ってまかり通ってるのか僕には不思議でならない。またこの教科書を提供しといて従来よりも英語の成績が上がるだろうと考える人がいるなら悪いけど言わせてもらう。あんたらどうかしてるぜ。
 ということでやっと段落を変えられたけど読まれる方もいい加減お疲れのことと思うのでやめます。お気づきの通りつい数行前までは素面で書いたものですがそれ以降敬語を使ってるのは酔っ払いです。素面の部分もあまり推敲してないので読みづらいかも知れませんが―それでなくても固い話題なのに―ご海容のほど何卒よろしくお願い申し上げます。それで信じられないかも知れませんがこのお話は後日に続きます。それではおやすみなさい。みなさまよい夢を。