この前書いた中学校の英語の教科書がとんでもないというお話の続き。素人なりに前回挙げた問題点は四つ。構成が悪くて文法的な混乱を容易に招きかねない。口語表現が多い。短縮形が多い。英単語が多すぎる。それに加えてリスニングにかなりの重きが置かれてるというのもあるんじゃないかと思う。ページには二次元コードが印刷されてて対応するデバイスに読み込ませると割に長い英文を聴くことができるらしい。ちなみにその英文は文字としては教科書に収録されてない。個人的にはそこもちょっとひっかかるところではある。そして実は問題点は更にもうひとつあってそれは中学で学習すべき英語が難しくなってることだ。たとえば四年前に中学校の教科書が改訂されたときそれまで高校で学んでた文法事項が一部中三に下りてきた。具体的に言うと仮定法過去なんかがその例でこれを中三で習うことになったためこれまで中三で習ったことが中二に中二で習ってたことが中一にと玉突き式に下りて行くことになった。つまり中学英語はたとえば十年前と比べると随分難しくなってる訳だ。以上の六つの問題点が何を意味してるかを考えると国の英語教育の方針が明らかに転換したようだということなんじゃないかと思う。どう転換したのか。ひとつは従来より高度な英語を中学生のうちから身につけさせようとしているみたいだということ。教科書の内容が難しくなり覚えるべき単語数も多くなってることがそれを裏付けてるように見える。もうひとつはリスニングとスピーキングをより重視するようになったこと。口語表現や短縮形の常用や二次元コードの使用がその根拠のように思われる。その代わり文法には比較的重点が置かれなくなったのか今の教科書は文法的な面から見るとわかりにくい。そう考えると現状の中学英語の立ち姿が無理なく理解できるような気がする。そしてもちろん僕としてはそれに真っ向から異を唱えたい訳だ。何度も書いてる通り駿台予備校の講師でいらした故伊藤和夫先生に僕は心酔してる。先生の書かれた多くの参考書はどれもすばらしいものだし中でも「英文解釈教室」で示された英文解釈法は完璧だと考えている。うちの塾でも生半可な理解に過ぎないかも知れないけど伊藤先生の方法論に基づいた英語の授業を行っている。図解なども伊藤先生の使われたものをそのまま使わせていただいてる。もちろん単語量が英語の実力に大きく寄与することを認めるにやぶさかではないが言語というものがルールの体系である限り文法をないがしろにする考え方には個人的には絶対に組しない。気に入らないことはまだある。それは今の中学英語が聞ける話せる英語を目指してるように見えることだ。現にたとえば都立高の入試には何年か前からスピーキングのテストが導入されてる。問題に対してタブレットに向かって答えさせそれをAIで評価するらしい。もちろんそれ自体は勝手にやってもらえばいいけど中学の三年間週に四~五回の授業でしゃべれるようになるほど英会話というのは甘くないと個人的には思う。実は長い時間をかけてなされる母語の習得に比べて外国語の習得というのは圧倒的な短時間で行われる。そこには強いモチベーションが必要だし強いモチベーションというのは極度に個人的なものだ。中学の授業で絨毯爆撃すれば誰もが英会話ができるようになるといった簡単は話ではない。この文法軽視と安易な英会話習得への傾倒が結果的にどっちつかずの教科書を生み出し生徒たちの成績を下げてるとしか僕には思えない。ちなみに都立高の入試のスピーキング問題には反対の立場を取る識者も少なくないらしい。心ある方々というのはどんなところにもいるんだなと心強く思っている。
