指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

原則。

 こんばんは。正体は知れてると思うので名乗ったりしませんよ。信じられないかも知れませんが僕のブログは「本の感想」をメインのコンテンツとしてます。あるいはしてました。今ログをさかのぼってみてももう随分長い間本についてなんて何も書いてません。でもこのブログの通しタイトルである「指栞」というのは当時外回りの途中に電車の中で本を読んでて乗り換えの駅で次の電車が来るまで待つ間栞代わりに指をページに挟んでたことに由来します。自分では造語と思ってたんですけど俳句の世界では前例があるみたいです。それはいいとしてそういう由来の言葉を通しタイトルに掲げるほど本について書くつもりではいた訳ですし一時期本当に読んだ本の感想ばかり書いてたこともあったんじゃないかなあ。年も取ったし現状酔っ払いだし(名乗っちゃった)あまりよく覚えてないんですけど。それで本について書くときに心がけてることは何かと言うとたったひとつしかありません。できるだけおもしろく書く?誰にでもわかるように書く?どちらも違うな。僕は自分の読んだ本を自分の感想を読んで下さったどなたかに手に取っていただこうなんてことを本気で思ったことはたぶん一度もありません。読書というのはそれほど孤独な行為だという思い込みがあるんですね。だって誰かとある本について話してわかり合えたなと思ったことあります?僕はないですね。二十何年連れ添ってる家人はもう十年以上プロの作家ですが彼女と共有できた唯一の本は新井千裕さんの「ソーダ水の殺人者」でそれ以外にはただの一冊もありません。この前このブログを読み返してたらガルシア=マルケスの「百年の孤独」を貸してくれと言われたことはあるみたいですけどたぶん家人は読んでません。家人がどんな作品を書いてるかは知らないんですけどイメージで言えば「百年の孤独」が何か参考になるようなタイプの作品でないことは間違いない気がします。それで僕が本について書くときに心がけてることは何かという元の問いに戻るとこういうことになります。その作品を読んだことのある人にはわかるけど読んだことにない人にはわからない感想を書く。これが原則です。あくまで僕の目に映ったその本の姿だけを書くように心がけてます。それがうまく書けようが書けまいが読んでない人には何もわからない書き方ですから読んだことのない人をその本へ誘おうという試みは初めから断念されてます。でもこれだけ情報があふれかえってる現状にあってたまたま自分が読んだ本をよかったらあなたも読んでみてねって差し出すのって控えめに言っても無理がありませんか?僕はそんな風に思います。