指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

雑なやつが苦手だ。

 今夜はもう酔っ払っちゃったし思いついたことをつらつら書き留めて適当なところで終わりにしたい。別に特に繊細ぶるつもりもないんだけど雑なやつが苦手だ。何が雑かって言うと感受性と言うか世界観と言うかそういうもので話しててわかりやすくはあるんだけど深みがない。こちらが言葉を選んで話すことも自分のわかりやすいように解釈して済ましてる気がする。まあ人と人との会話なんて多かれ少なかれそういうもんだろとも言えば言える。でもここではあえて程度を問題にしたいかな。と書いて来てふと思いついたのは相手の話すことを相手の立場にできるだけ寄り添って聞くという姿勢はそれだけで結構価値があると僕なんかは思ってるということだ。自分の聞きたいように聞くのではなく相手の話したいことを最優先にして聞く。つまりできるだけ無私になって聞く。そういうことをしない人やできない人って割によく見かける気がする。そういう人をここでは雑なやつと呼んでるみたいだ。
 僕が雑なやつの存在に初めて気づいたのは小学生の頃で夏休み中の登校日でのことだった。今ほどではないにせよ暑い日だったけど前の日まで風邪で熱のあった僕に母親は薄手のカーディガンを着せて送り出した。学校ではみんな半袖を着てて薄手とは言え長袖のカーディガンを羽織る僕は目立ったのか熱があるんなら冷やせばいいじゃんそれ脱げよと口々に言う。そのときこいつらとは絶対にわかり合えないなと思った。体が弱かったので母親は僕を育てるのに相当苦労したろうし心痛もハンパなかったろう。子供をひとり育て上げた今ならそれがわかる。とにかくいつでも手厚くケアされた記憶がある。そうして僕はなんとか無事に育った。熱があったらあったかく過ごさせるという母親の経験知も雑なやつらの前では奇異に映ったんだろう。そのことに初めて気づかされた体験だった。
 という訳でとにかく雑なやつが苦手だ。僕の仮説では子供に対する母親のケアが雑だとその子も雑になるんじゃないかということになる。だから繊細なのは僕じゃなくて僕の母親なんだろう。気の強い人で若い頃は辟易してたけど彼女に育てられたからこそ今の自分がある。と思って感謝してる。もちろん今ある自分に満足してる訳じゃ決してないけど貧乏なのを別にすればそこそこ恵まれてるんじゃないかと思ってるから。妻にも子供にも。