指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ここで暮らし続けるということ。

前の勤め先があったこの界隈に越して来たのは、足を骨折し手術をして退院した後松葉杖をつきながらでも会社に通うことができるようにと思ってのことだった。結婚を機に再び転居したけどやはり最寄りの駅が同じこの界隈に住むことになった。家人は九州から結婚のために上京して周囲には知り合いなどひとりもいなかったので、会社の近くに住んでいれば何かと安心じゃないかと思ったからだ。でもとりたててここでなければ駄目という強い根拠があった訳ではなかった。会社が引っ越してしまえばそれに着いて行く可能性もあった。
子供ができて幼稚園に入ると知り合いも増えて少しは地縁みたいなものも感じ始めたけど、それでもここで暮らしている必然性というのはそれほど強くない気がしていた。あくまで便宜的に住んでいるだけの話だと思っていた。
仕事を辞めてこの場所で開業することになってそれが変わった。僕は初めてこの界隈で暮らし続けて行くことを主体的に選び取ったという気がしている。そういう意味ではデタッチメントからコミットメントへの転回と言えなくもないかも知れない。ここに住む人たちと直にコミュニケートし場合によっては助けたり助けられたり迷惑をかけたりかけられたりしながら暮らして行こう。そういうのは大嫌いだったけど今の決意を言葉にするとそういうことになる。地元の金融機関に口座を開き、地元の不動産屋さんのサイトとリンクし、物件を貸してくれた大家さんと毎朝挨拶を交わし、地元にずっと住んでいる家族に属する子供たちに勉強を教える。
自分の罪をカミングアウトしたラスコーリニコフにソーニャは大地にひれ伏すよう強く勧める。大地は周囲の人たちと一緒にこの場所で暮らし続けることの象徴だ。ラスコーリニコフはあまりに強く個人であり過ぎたのだ。