指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

頼られることについて。

 これは今日あるブロガーさんのエントリを読んで書いてみようかなと思ったテーマだ。その方はコメントをご希望になってるんだけどコメント欄に書くほど適切な内容になるか自信がないので自分のブログに書き留めておく次第。
 頼られることについて。僕はちょっと前にも触れたように自己否定と言うかもう少し自分の実感に沿った言い方をすると自己解体(ATOKは「事故買いたい」と変換した。MS-IMEよりは信頼してるけど時々何を考えてるのかわからないことがある。)みたいなものをライフワークにしてる(つもり)なので当然自己評価はそんなに高くない。だから誰かと話してても自分のつまらない話で相手を退屈させていたり迷惑に思わせていたりしたらどうしようと割にしょっちゅう思っている。だからバイト先のそう親しくない顔なじみくらいのお客さんに話しかけられてもできる限り短めに話を切り上げるようにしている。そしてその後あの人はもうちょっと話を続けたかったのかも知れないなと感じたりする。そうできなかったことについてちょっとだけ胸が痛む。でもそれが自分という人間のあり方なんだから仕方ないよなと開き直る。特に今のバイトを始めてからはそういうことがとても多くなった。これはよく考えるとまあまあストレスになっていて人間関係からの撤退路線にさらに拍車をかけてるとも言える。でも学生さんのバイトの中にはかなりシリアスな話をたまたまふたりきりの時とかあるいはラインとかで打ち明けてくれる人もいる。人間関係のこととか将来のこととかあるいは自分の抱えてるちょっとした問題とかについて。そういうときはすごく親身になって話を聞いてる気がする。もちろん彼らの顔が自分の子供の顔に重なるからでもある。でも彼らより随分長い道のりを歩んできた者として自分が彼らの年くらいに年長の人に尋ねてみたかったことや尋ねたんだけど納得の行く答えをもらえなかったことに対して自分なりにきちんと答えてあげたいという思いも大きい。要するに年寄りは頼られたらうれしい。たぶんそれはかなり普遍的なんじゃないかと思う。ただしそれと友だちになることは別なんじゃないかという気がする。と書いてきて思うのは友だちってなんだ?ということだ。僕はそういう学生さんたちとは明らかに友だちではない。飲みに行こうと誘われることもないし誘われても行かない。だから六十代が自分より相当若い人と友だちになれるかと言うと僕に限って言えば難しいという結論になる。でもとても個人的な結論なので参考になるかどうかはわからない。だからあとはご自分で決めて欲しい。すいません。
 追記。
 この日のスイムは27分01秒でまたも千五十メートル。最後の五十メートルが1分12秒だったので千メートル時点で25分49秒。何がいけないのか全然わからないけど25分が切れない。でも千メートルノンストップで泳ぎ続けられているのでよしとする。