指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

腕時計が戻って来た。

春先のことだったと思うけど腕時計の留め金がこわれて使えなくなった。何年か前から二本ある留め金のブリッジの片方が溶接がはずれてしまっていて、腕につけるのに多少の技術を要するようになっていたが、慣れれば別にどうということもなかったのでそのままにしておいた。関係ないけどブログをつけていると自分が何かをそのままにしておいたりほっといたりする場合がすごく多いことに気づかされる。基本的にそういう人間なのだと思う。
時計は十数年前に買ったタグ・ホイヤーで、当時アイルトン・セナタグ・ホイヤーと専属契約をしていた。僕はセナの大ファンだったのでちょっと無理をしてそれを買った。セナの死後ばたばたと出版された写真集の中の一冊で、同じモデルをセナがつけている写真があってすごくうれしくも切なくもあったことをよく憶えている。
最寄りの年季の入ったいかにも職人気質といった時計屋に持って行くと、パーツが取り寄せられず修理は無理だとすまなさそうに言う。家人が見かねて池袋にあるデパートの時計修理のカウンターに持って行ってくれた。しばらくして修理の見積もりが来たが、留め金の他にも竜頭とかベルトとかに傷みが来ている上、本体の中にも水が入ってしまっていて全部直すのに8万円近くかかると言う。子供ができる前ならいざ知らず、今時計の修理にそれだけの額を出すわけにも行かず結局留め金だけを直してもらうことにした。それでも1万円以上かかった。
何のかんので数ヶ月腕時計をせずに過ごしていた。戻って来た腕時計をつけると、その数ヶ月の間どれほどのものが失われていたかがひしひしと感じられた。十数年肌身離さず身につけていたものにはそれだけの何かがこもる気がした。おまけにアイルトン・セナへのささやかな親近感付きなのだ。