指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

向こう側へ行ってしまうということ。

ハリガネムシ (文春文庫)

ハリガネムシ (文春文庫)

プリインストール・モデルのパソコンのように、僕にも普段使わない様々なアプリケーションがインストールされている。サディズムもあるしマゾヒズムもあるし同性愛もある。個人的な倫理観とか生理的な嫌悪とかいったあいまいなもので日々押しつぶしているため向き合うことは滅多にないけれど、他にもいろいろな暗いアプリケーションが静かに起動を待っているかも知れない。
そんな暗いアプリケーションのひとつを、ひとりの女との出会いをきっかけに立ち上げざるを得なかった男の話だ。何かと言うとすぐに勃起する強い性欲が豊富な電力を彼に供給している。その性欲は実はもうひとりの女に向けられるべきはずのものだが、社会的な制約が彼にそれを禁じている。だから彼の女へののめりこみ方は代理戦争のような様相を呈する。そして代理である分だけ女への残虐さがエスカレートしている。彼はもうひとりの女を密かに思いながら同時に憎んでいるからだ。そして初手から見下している女には、その憎悪を思う存分向けることができるからだ。もしもうひとりの女が彼を受け入れたなら、彼の性欲と残虐さは生理的な嫌悪というセーフティーネットの向こうまでは突出しなかったかも知れない。
個人的には彼の残虐さは途中までは納得が行くものに思えた。でもその納得は最後には振り切られた。彼は向こう側へ行ってしまった。その向こう側へ行ってしまうということが言葉のあるいは小説の力のように思われた。
女が言葉遣いや仕種を含めて非常にうまく書かれていて、危うく暗いアプリケーションのひとつを起動しそうになった。起動した方が、小説の力へは近づくことができた気がするが。