指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

この人には好意を持たれてるなと感じることがある。

 たいていの人とはまあまあうまくやってるんじゃないかと思う。もともと誰ともあまり深いつきあいというのを望まないのでつかず離れずという距離感になるけどそれで構わないなら割に誰とでも良好な――とまでは行かないかも知れないにせよそれほどぎくしゃくはしてない関係を築けるような気がする。たまにすごく嫌われることが若い頃からあったし実は今もあるけど例外と言っていいくらいの頻度だと思う。なぜ嫌われるかはよくわからない。特にわかりたいとも思わない。逆によくわからない好意を抱かれることもある。これも頻度としては嫌われるのと同じくらいじゃないかと思う。大したやりとりをした訳でもないのにこちらに対する好意が伝わってくる人というのがいる。自己評価が低いので何かの思い違いだろオレなんかに好意を持つ訳ないだろと何度か否定してもどうもそうじゃないみたいだと判ぜざるを得ないことがある。これも理由はよくわからない。でも嫌われてる場合と違ってできればその理由がわかるといいなと思ったりする。
 バイト先の別部署にいる女の子がそれで名前をつけておく。ヤカさんでいいかな。別にそれまで親しかった訳でも何でもないのにあるとき業務上のトラブルを偶然一緒に解決したことがありそのときにすごくフランクに話してくれる人だなという印象となんだか心の距離が近いなという印象を受けた。その後も会えば挨拶を交わしててこの前久しぶりに見かけたのでお久しぶりですねと声をかけるとわざわざこちらまでやって来てくれてしばし言葉を交わした。そのときも何かがすごく近い気がした。今日も久しぶりに会ったら向こうからお久しぶりですと声をかけてくれる。でもシフト結構入ってるんですよね僕と時間帯が合わないだけなんですよねと尋ねるとそうだと言う。お互いに対して今日はシフトに入ってないのかなとそれとなく目で探してるような連帯感があってちょっとだけ心が温かくなった。それが出勤の時の話でたまたま退勤の時刻も一緒だったので着替えながら更衣室のカーテン越しにちょっと立ち入った質問をしてみた。その部署の女の子は学生さんが大多数なんだけどヤカさんは彼女らに比べて明らかに落ち着いてるしこう言ってよければ度胸のよさみたいなものも持ってる。それでヤカさんは学生さんじゃないんですよねと尋ねた。すると大学院の博士課程に籍を置いてると言う。もう三十過ぎてるし他の学生のピチピチしたのと一緒にされても困るんですけど。なるほど。当たらずと言えども遠からずと思って何を専攻されてるんですかと尋ねると難しいなと言うのでいやじゃあそれなら尋ねません。どちらにしても立ち入ったことなのでと返すと僕は知識がないのでよくわかんなかったんだけどある条件下で消費者がどういった消費行動をとるかというのをシミュレートしたりとかそういうことらしい。他にもバイトを掛け持ちしてることとかもうひとつの会社の方が時給がいいのでこっちには来なくてもほんとは構わないこととか(じゃあわざわざいらしてるのはこっちの仕事がお好きだからですかと尋ねるとまあそうかも知れませんということだった。)今まで聞いたことのないことをいろいろ聞けた。ここで僕が何より重要だと思ってるのは彼女は僕のどの質問に対しても「お前の知ったことじゃない。」と言い放つ権利を持ってたということだ。実際自分でも随分プライベートなことに立ち入ってるなと思ってたしどこかで拒絶されても仕方ないかなと思っていた。ただこれまでに彼女から受けた印象からある程度は受け容れてもらえる気がしたしその感触は信じていいように思えた。それを頼りに少しずつ近づいて行ったということだ。そして彼女は最後まで受け容れてくれた。今日みたいに長い時間彼女と話す機会はこの先もうないかも知れない。それくらい彼女と僕には接点というものがない。でももしもまた話す機会があったなら今回よりももう少し遠慮なく彼女の懐に入って行きたいし彼女がそれを望むなら僕のことを洗いざらい話してもいいとも思う。ぶっちゃけそういう関係ってなんなんだろうね。これ以上仲良くなっても何も生まれないし何も残らない。でもお互いもうちょっと仲良くなれたらうれしいなと思っている。と思う。いや単におじ(い)さんをあんまりからかわないで欲しいって話で終わるのかな。そうじゃないといいけど。
 誰も待ってないお待ちかね!今日のスイムは24分42秒で千。久々に25分を切った。泳ぎ始めてすぐにこのペースじゃきついなと思ったんだけど前にもそういうことがあったようにペースを決めるのは僕じゃなくて僕の体なので体がそのペースを選ぶのなら僕としては従わざるを得ない。三百でも五百でも今日のペースはきついと思いそうなるとずっときつくてやっと千メートルと思ってアップルウォッチを止めると九百五十メートル。あわててあと五十泳いで千にする。それでも25分を切ってたので調子はよかったんだろう。
 あと「地獄の季節」について書きたかったんだけど力尽く。読者にファンがいるようなので付記しとくとアルチュール・ランボーとはまったく関係ありません。すいません。