指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

競争したくない。

弱さの思想: たそがれを抱きしめる

(前略)ぼくたちは日常生活ではほとんど何も考えずに、この世界が敷いたラインに沿って生きている。楽だからです。破綻しないかぎりはね。でもなにかが起きて、その引かれた線からずれると、突然どこに行っていいかわからなくなる。これが弱さの共同体にかかわった人たちの最初の驚きなんです。みんな予定外だった。それまではある種保守的に日常を生きてきた人たちが、受け入れざるを得ない現実に向き合って、それから逃げなかった時に見えてくる風景の中に気づきが生まれる。
 いったん気づきはじめると、この社会を別の角度から見るようになる。そして実際には恐ろしい競争が起こっているということに気づく。でもほとんどの人は、そういうことに気がつかないようにされている。だから「弱さの共同体」にかかわると気づきがあり、この世界がよく見えるようになるんです。こんな恐ろしい競争に巻きこまれているのに、どうしてみんな受け入れているの?このままでいいの?というふうに。だから、弱さの共同体の中の気づきがあると同時に、世界に対する気づきが同時に生まれるんだ、と思いました。(後略)

ここで言う「弱さの共同体にかかわる」とは、何かが起こって否応なく自分が弱者となってしまったというほどの意味だと思う。そう少しだけ読み替えることで自分もその人たちの列に加わることができる。もちろん僕の場合はどんな共同体にも属さずにひとりで歩いて行くことを選んだ訳だけれども。
でもそこだけ別にすれば失業したときの実感にまるで一致している。少し前にもう競争したくないという趣旨の記事を書いたけど、そういったことにほとほとうんざりしていることに気づくところまでそっくりそのままだ。この本はこの前感想を書いた高橋さんのルポルタージュ集「101年目の孤独」と対をなす内容で正直に言うと個人的には胡散臭いと感じるところも無いではないんだけど、自分の実感がまるで写し取られたようにそのまま書かれているのに出くわしてとても感慨深かった。あと思いつきだけどこの考え方はニーチェの言う「病者の光学」に幾分近いんじゃないかと思った。

(前略)
三・一一が起こって、「高橋源一郎はどう思ってるかな?」とぼくの読者は思うだろうから、それには答えるべきだと思った。(後略)

これは「ほんとにひとりぼっちになってしまった」僕たちに対する高橋さんの覚悟だと思う。高橋さんがそう書いたのが3.11から一年後だったとしても。