指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

8月に生まれる子供、その2。

四年前の今日その地方は朝から雨だった。相変わらず陣痛はほとんどなく、ひと晩で消耗したのか家人は元気がなかった。食欲もなくそれでも体操や階段の昇降には果敢に出かけていった。僕にもその気持ちがわかった。ここまで来た以上、つか妊娠がわかった日からずっと、もう前に進むしか道はない。後戻りできる可能性はない。完走するしかないのだ。午後産気づいた妊婦がやって来て「LABOR ROOM」のベッドのひとつに横たわった。僕は部屋を出された。その部屋の位置づけがやっと少し飲み込めた。そこは陣痛を耐える部屋なのだ。陣痛が始まってもうすぐ生まれそうになって分娩室に移る、そのつかの間を過ごす部屋だ。家人はそこですでに丸一昼夜を過ごしている。妊婦は1時間もすると看護師に助け起こされて分娩室に入って行った。

夕方、メトロが入れられることになった。産道を広げるための風船だ。二度目と聞いたので、どうやら僕が到着する前に行われた処置というのも同じものだったらしい。医師と看護師が4〜5人「LABOR ROOM」に入って行き、僕は部屋から出された。随分時間がかかったように思う。部屋に戻ると、家人が苦痛に顔をゆがめていた。それを見て思いがけずものすごい怒りがこみ上げてきた。お前らは寄ってたかっていったい何をやってるんだ。それは誤った怒りだったかも知れないが、心が握りつぶされて変形してしまうような激しい怒りだった。

その後家人の母親と姉がやって来て、とりあえず実家に戻って風呂と食事を済ませたらどうかと言ってくれた。僕がいない間姉が付き添っていてくれるそうだ。何ならそのまま今夜は実家に一泊してもいい。食事前に風呂に入っていると涙がこみ上げてきた。シャワーを出して音を隠しながら、声を上げて泣いた。かわいそうでならなかった。食事の後、母親にやはり病院に連れ帰ってほしいと頼んだ。暗い車内で母親と何かすごく大切な話をした気がする。でも何を話したか思い出せない。

その晩は陣痛が来る度に背中を押した。そうすると幾分楽になるようだった。でも深夜になると陣痛は弱まり、僕はまた少しうとうとした。