指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

8月に生まれる子供、その1。

初めにお断りしておきますが、このタイトルは大島弓子さんとはあまり関係がありません。悪しからずご了承下さい。

四年前の今日の話だ。出産予定日から一週間近く過ぎても生まれる兆候がないので、管理入院ということになって家人が入院した。家人の実家近くの産婦人科だ。午前中に陣痛を促す処置が施された。僕はその日の朝早く東京を発ちそちらへ向かったのだが結局病院に着いたのは昼過ぎだった。その段階で初めは5分ごとに来ていた陣痛はほとんどやわらぎ、家人は信じられないほど大きなおなかを抱えてベッドに横たわりながら結構元気そうだった。僕は今にも生まれるのではないかと想像しながらたどり着いたので、いささか拍子抜けした。

午後家人は入院中に行われるルーティンをこなした。安産のための体操とか、胎児を下げるための階段の上り下りとか、出産前のレクチャーとかそういうことだ。僕は「LABOR ROOM」と札のかかった、ベッドがふたつと計測機械みたいなのがある六畳くらいの広さの部屋と、病院の外にしつらえられた喫煙所を何度か行き来しながら待った。本も持っていたけど開こうなんて思いつきもしなかった。「LABOR ROOM」、苦痛の部屋。おそらく陣痛室とでも訳すのだろう。集まっていた家人の母親と姉は、いったん自宅に引き取っていた。

夕食が済んだ後は時間があったので、別々に過ごしたこの一ヶ月ほどのことを話した。8月に生まれる子供ってあなたが言ったので何とか8月中に生みたい、と家人が言った。いやもうほんとそんなこといいんだよ全然、と答えるしかなかった。でもその段階ではふたりともまだ楽観していたのだ。今日でなければどんなに遅くとも明日中には生まれるだろう。8月中には充分間に合うじゃないかと。その夜は家人とふたり「LABOR ROOM」で待機。陣痛はやって来ず、腰が痛いと言うので力を込めて押してやった。旅の疲れか僕は何時間かうとうとしたけど、家人はほとんど眠れなかったようだ。夜半に家人の母親が心配して様子を見に来た。