指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

8月に生まれる子供、その3。

その日、一日何をしていたのかあまりよく憶えていない。とにかく陣痛はずっと微弱だった。人工的に破水した。この赤ちゃんはよほどおなかの中が気に入っているのね、と誰かが言った。僕は笑わなかった。それから家人は最後の階段昇降を始めた。僕はそれを見守った。付き添いの看護師が僕をにらんだ。そしてやっと分娩室の扉が開き、家人は僕の手を握った後その向こうに消えた。陣痛の強さを表すグラフが窓の向こうに見えた。それは相変わらず振幅がとても小さかった。日が暮れかけた午後7時過ぎ子供が生まれた(らしい)。知らせを聞いて家人の母親と僕は手を取り合って泣いた。お宅のお母さんと旦那さん、何か泣いてたわよ、と家人は後で看護師から聞いたそうだ。子供は仮死状態だった(らしい)。30分ほど経って保育器の中に子供が現れた。呼吸以外に動きはなかった。何が何だかよくわからなかった。さらに15分ほど経つと家人に面会できた。顔一面にケシの実ほどの大きさの鬱血が散らばっていた。僕はまた泣いた。白目にも血の塊があった。同じものは子供の白目にもあった。すさまじいことが起こり、ものすごいエネルギーが通り過ぎて行ったことがわかった。僕の心は、握りつぶされ変形したままの形で冷えて固まってしまっていた。

それが2001年8月31日のことだった。子供はあと5時間を残してかろうじて8月に生まれた。