指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

地続きにある江戸。

金春屋ゴメス

金春屋ゴメス

江戸に暮らす現代人の主人公という姿はタイムスリップもののお得意とするところのように思われる。でも作者は通常なら時間軸上の移動で可能になるその姿を、空間軸上の移動で可能なものに置き換えて描いた。そこに作者の一番大きなアイディアがあると思う。もちろんそれで可能になるのは架空の江戸でしかないが、少なくとも「金春屋ゴメス」を読む限りその江戸の架空さにはあまり重きが置かれていない。タイムスリップで得られる本物の江戸と考えてもそれほど差し支えないように描かれている。
同様にいきなり江戸に放り込まれた主人公が感じるであろう違和感やカルチャーショックというものにもあまり重きは置かれていない。主人公は割とスムースに周囲にとけ込むことができている。
以上のような書き方から、何よりストーリーテリングを重視する作者の姿が透けて見える気がする。設定の説明が済み、主人公が江戸に入ってしまうと捕物帖とほとんど変わらない淀みなさで物語は進む。繰り返すがその舞台からは架空の江戸ではなく本物の江戸と見なしてよい感触が感じられる。
しかし結末では近代化された世界の中でそこだけ近代を脱ぎ捨ててぽっかりへこんだような江戸の、江戸としてのアイデンティティーが問題にされる。へこんだ江戸をへこんだままにしておけば、水が低きに流れるように否応なく近代が流れ込んで来てしまう。それをせき止めることによってしか、この江戸はこの江戸として存続できない。そのことを問題とできるようにするために、作者はわざわざ時間軸上の移動を空間軸上の移動に置き換えて設定したように思われる。
それにしては反近代とかエコロジーとかが大上段に振りかざされていなくて読後感はとても清々しかった。ただ作者の中にほんの少し、江戸の生命力を現代より上位なものに置きたい思いがあるような気がした。