指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

私は他者だ。

頭のどこかに引っかかっていて何年もの間繰り返しその意味を考え続ける言葉というのがあって、アルチュール・ランボーのものとされるこの言葉ともそんなつきあい方をした。合ってるかどうかわからないが今では、私とは記憶であって記憶の中の自分とは自分の自由にならない他人であるという意味に解している。「記憶」を「物語」としてもいいと思う。今目の前にいる自分自身がすなわち自分にとっての他者だという考え方も魅力的だし感覚的にわかる部分があるけど、さすがにちょっと恐くてこの方向に力を込めて考え続ける勇気が出ない。
それで昨日のエントリだが、読み返してみると正に私は他者だという気がする。ですます調で書く気になぜなったのか、タイトルと結論がなぜほとんど無関係かよくわからない。(もっとも後者だけならこれまでも結構あった。)でも確かにこんなようなことを感じた憶えがあり自分で書いたような気はする。つか、単に酔っぱらうと人が変わるというだけの話か?