指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

家人、ということ。

猫のあしあと

猫のあしあと

うーんと、正直僕は動物があんまり好きではありません。コミュニケーションがうまく取れない相手が苦手だからです。だから子供も苦手でした。自分に子供ができてしまってからも、どうコミュニケーションしていいかわからなくて自分なりに悩みました。でも子供というのは本当に圧倒的な存在なのであまり長く悩んでいる暇はなく、次から次へといろいろな形でしなければならない世話を続けるうちに、軽石でかかとをこすったみたいに変に角張ったものが削り落とされて自然に子供とコミュニケートできるようになりました。今では子供は大好きです。たいていどんな子供もとりあえず好ましい目で見ることができます。子供を好ましい目で見られたら、後は大した困難はないと思います。だから動物も、今は苦手ですけどタメで暮らすみたいなのっぴきならない立場に追い込まれたらきっと好きになるだろうという気がします。
「猫にかまけて」(すいませんが読んでません。)の続編のような位置にある本書で、こういうところへ放り込まれたら自分もきっと猫びいきになる違いない、と確信させるような生活を町田さんは送ってらっしゃいます。でも僕はこの本の猫たちよりも町田さんのいわゆる「家人」さんの方にずっと関心がありました。ひとつには「家人」という言い方で、僕はこれを高橋源一郎さんのエッセイで知ってかっこいいので真似してるんですけど、要するに妻のことです。自分との共通点を見つけた気がしました。それと最近の町田さんのエッセイでは町田さんはあたかも独身であるかのようにご自分の生活を記述されていますが、そういうのはやっぱりフィクションだったんだな、二十年以上連れ添った奥さまが実際にはいらっしゃるのだな、と改めて思いました。ある意味でこの作者は小説よりも猫の生命感の方にはるかに誠実なので、猫のことを記述するときにはエッセイではぼかしている奥さまのことも同じリアリティーで書かない訳には行かなかったのかな、と思いました。でもそう思った瞬間、別のもっと説得力ある解釈も思いつきました。町田さんの小説に対する誠実度を何かと比較して下に見ることなんてどこの誰にもできないと思ったからです。
いずれにせよこれを読むと、町田さんがエッセイでさえいかにフィクショナルに書いているかを改めて思い知らされます。逆に言うととりあえずこんな無防備な感触の町田さんは、これまで見たことがなかったように思われるのです。もしかしたらその無防備な感じこそが、新たなレベルのフィクションなのかも知れませんが。