指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

愛とセックス。

海の仙人 (新潮文庫)

海の仙人 (新潮文庫)

コレラの時代の愛」を読むと、ガルシア=マルケスは男女間の愛とセックスとをほとんど同じものと見なしているのではないかという気がする。愛が成就するとは相思相愛になることではなくベッドを共にすることだと考えられている節がある。愛というものを突き詰めれば結局そう言うしかないじゃん、という大家の徹底的な洞察が見られる思いがして、それはそれで悪くないと思う。あるいはそういう考え方が中南米ということなのかも知れない(しつこい?)。
 お前自身はどう考えているんだと自問すると、若い頃は精神的と言うかプラトニックと言うか、そういうこっ恥ずかしい愛をより尊重していた。セックスと切り離しても愛は成立すると思っていた。でも最近は若いカップルなどを見かけるにつけ、結局この人たちを動かしているのは性欲なんだよなと考えるようになった。身も蓋もない言い方だけど、ふるまいのひとつひとつに性欲が瀰漫していると見なした方がうまく納得できるようになった。それは別に彼らにとって恥ずかしいことでも何でもない。また精神的な愛と思っていたものが実は性に突き動かされたものであったとしても堕落でも何でもない。
でもその性を禁じられるとどうなってしまうか。それが海の仙人の正体だということになる。働く必要がないので働かない。欲しいものは特にない。愛してくれる女には応えない。ただ海の近くでの静かな生活だけを愛している。そんな男。でもそういう言い方から想像されるような冷酷な男ではない。性にまつわる事件で決定的な変形を受けてしまったにせよ、その心は繊細で優しく生き生きと活動している。だから悲劇はより深まる。
絲山秋子さんの作品は、前に「ニート」を読んで感想を書いた。そのときも思ったけど「海の仙人」でもキイワードは拒絶ということになる気がする。心が拒絶すること、心は受け容れながら体が拒絶すること、そんな様々なトーンの拒絶が描かれているが、「ニート」よりずっと情感にあふれた「海の仙人」の方が好きだと思った。