指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

脇腹の痛み。

昨日子供とふたりで外で昼食をとった後、三十分少しの道のりを歩いて帰って来た。途中で子供が脇腹の痛みを訴えた。食べてすぐ歩き始めたのがよくなかったのかも知れなかった。歩けるかと尋ねると歩けると答える。その辺に座ってちょっと休んだらどうかと言うと、大丈夫、慣れてるから、と言う。その言い方が思いがけず心に響いた。
おそらく誰もが自分なりのちょっとした不調や不快をたまに感じて、自分なりの対処法でそれらを解消しているに違いない。頭痛とか目の痛みとか肩こりとか胃もたれとかそんなことだ。それが子供の場合は脇腹の痛みだったということで、取り立てて言うべき何事も無いかのように見える。
でも、慣れているという言葉が指し示すのは、子供が誰に告げることなくこれまで何度かひとりでその痛みに耐えて来たことのように思われた。その様子を想像すると胸が詰まった。
もうひとつその言葉が意味してるのは、自分の不調を何とか堪え忍ぶ強さを子供がいつのまにか身につけていたことと、それを通してその不調を手なずけるための小さな物語を手に入れていたことだ。痛くてももう少しすれば収まる、ということが子供にははっきりわかっているのだ。
子供は学校やら児童館やら塾やらでいろいろなことを聞き及んで来て時に思いがけない知識を披露してこちらを驚かせる。でもそれらはみな誰かから聞いたり何かで読んだりした知識に過ぎない。でも自分の脇腹の痛みについて彼が学んだことは、ささやかながらも、はるかに血の通った叡智のような印象を形づくっている。