指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

結婚て何。

結婚しよう (角川文庫)

結婚しよう (角川文庫)

たとえばよしもとばななさんの小説には語り手ないし主人公にとってちょっと文句の付けようのないほど美しい魂を持った男の子が出てくる。彼は語り手ないし主人公の持つ普通から見れば特異なところのある倫理のあり方を無理なくきちんと受け容れるばかりかさらにその先へ何歩か踏み出して見せさえする。そういう場面が与える印象は少なくとも個人的にはすごく不思議なものに思われる。魂同士の美しい交感と言えばそうなんだろうけどあまりに何かが整い過ぎている気がして絵空事に見えてしまう。あるいはこれを突き詰めると、わかる人にはわかるけどわかんない人にはわかんない、一種の選民思想みたいなところへ行くしかないんじゃないかと思われて来る。難しいことは抜きにしても、この辺をそれでいいと取るかそんなのあり得ないと取るかは、よしもとさんが描く作品への好悪のかなり重要な分岐点をなしているんじゃないかと思う。
決して対立することのない彼と彼女の姿を描いたこの片岡さんの作品も、また奇跡の人同士の絵空事の感触を秘めているように思われる。少なくとも途中まではそう取られても仕方のない書き方という気がする。ついでに言うと高橋源一郎さんの「いつかソウル・トレインに乗る日まで」にも同じ感触がある(と、思われませんか?)。それは仲のよいふたりにはたで見ている人が「ごちそうさま」と声をかけるときの気持ちに似ている。ただしそういう冷やかしの言葉は読者には禁じられているので、はけ口の無い分情緒が内向して何て言うかちょっと不気味なものを目の当たりにしているような感じにとらわれる。ふたつの作品がなぜ似た感じを共有しているかについてはちょっと思い当たることもあるけどあまりに不確かなのでここでは措く。
でも最後まで読むと「結婚しよう」は結婚というものの本質を意外と(と言っては失礼だが少なくとも前半の調子から言えばそうなる。)真剣に描くことが主題だということがわかる。結婚の本質とは何か。結婚するふたりは突き詰めに突き詰めたら他者同士であるしかないのか。それともそういう言い方の冷え冷えした感じを融和させることのできる別の見方があり得るか。そんな問いをめぐって書かれた作品だという気がする。そしてそんな風に改めて突きつけられてみると、自分には結婚とは何かという問いに答える準備がまるでできていないことに気づかされる。気づいたらそこから先は自分の足で歩いて行かねばならない。そのために必要なものは本書の中に片岡さんが準備し終えてくれているはずだ。