指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

夜の自転車。

もう三十年も前の話だ。僕は中学三年生だった。当時父親の原付と交換で知り合いのお兄さんからもらったちょっとかっこいい自転車に乗っていた。ブリジストンのロードマンという自転車が一世を風靡した少し後で、タイプとしてはそれと同じだけどもう少し走ることに特化していて、余分なものは泥よけさえ付いてなかった。でもパーツを吟味して組んだと聞かされたその自転車をすごく気に入っていた。ある日クラスメイトの女の子が、ユーのライドするバイセコーはソウクール、イズントイット?というようなことを言った。微妙なニュアンスは忘れてしまったので再現できないが、論旨としてはそういうことだった。自転車通学は禁止されていたのでどこで僕の自転車を見かけたのかわからないが、おおかた放課後に町なかででもたまたま見かけたに違いない。相手の意図がわからないので曖昧に答えた記憶がある。すると彼女はレッミーライジョアバイセコー、みたいなことを言った。我をして汝の自転車に乗らさしめよ、という意味に解された。正直、真意が測りかねた。どうやって?と尋ね返すと、塾の帰り、なん時頃にあの辺で待ってるからさ、来てよということだった。 その提案を受け入れた根拠がわからない。彼女の顔は憶えているけど彼女に惹かれたことはなかった。ただ単純に自分のお気に入りの自転車を他の誰かから誉められたことがうれしかっただけかも知れない。当時「銀河鉄道999」にやられてたので心優しい人間でありたかったのかも知れない。あるいは・・・あるいは。
待ち合わせの場所で自転車を降りる。彼女の自転車に乗り換えて自分の自転車に乗る彼女の後をついて行く。彼女と僕ではかなり身長差があってペダルが一番下に沈むとき彼女の足はそれについて行けずに浮いてしまう。ハンドルと共に前輪が揺れる。そんなことが数ヶ月続いた。
ある日僕の塾が早めに終わった。約束の場所まで行ってもまだ彼女の姿はなかった。ちょっとだけ迷ったけどそのまま帰った。翌朝、彼女が学校で言った。すごく小さな声で、待っててはくれないのね、と。彼女との夜の短いツーリングも、それきりだったんじゃないかと思う。