指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

足したり引いたり。

ジャージの二人 (集英社文庫)

ジャージの二人 (集英社文庫)

タイトルを見たときこれはこの前読んですごく気に入った「ねたあとで」と関係があるなとにらんで買って来たらたまたま勘が当たっていて、もちろんそんなの断定できないんだけど「ねたあとで」の主人公格のコモローらしき人とその父親が主な登場人物だった。それを根拠として強引に時系列に並べると、本作は「ねたあとで」よりも時間的には古いお話ということになる。もっとも細部には設定の明らかな違いもいくつかあって、コモローらしき人には妻がいる。「ねたあとに」のコモローには妻帯の記述は無かった気がする。また父親の結婚の回数も違うように思われる。語り手も本作がコモローらしき人、本人なのに対して、「ねたあとに」ではコモローの仕事を手伝う女性のものとなっている。余談だけど後者の語りがあまりに巧みなので、作者は女性なのかと思ったほどだった。
以上ランダムに取り上げた二作の差異の中で、本質的なのは語り手が違うことだと思われる。理由は簡単で本作ではコモローらしき人の心象が直接本人の声で語られるのに対して、「ねたあとに」ではコモローの心象は大幅にカットされていて、そのことが作品間の重要な違いにつながっているからだ。本作のコモローらしき人は妻との仲がうまく行ってなくてそれが喉に刺さった骨のように繰り返し語り手の意識に上って来ては、主要なテーマであるような印象を読者に与えている。また実際にそれが主要なテーマであるように読める。でも「ねたあとに」ではコモローの心象などにはまるで力点が置かれていない。そこでの本当の主人公は、様々な細部を伴って豊かに営まれる「暮らし」そのものではないかと思われるほどで、誰ひとり作品のテーマになるべき「深刻な」問題など抱えてはいない。
主要な登場人物が同じ、舞台も同じで季節も同じ。でも「ジャージの二人」と「ねたあとに」は、まったく違う楽しみ方をすべき二作だと思った。まあどっちかと言えば、「ねたあとに」の方が好きだけど。