指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

透徹した俗っぽさ。

巡礼

巡礼

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いつも書いてることだけど橋本治さんの文体はすごく俗っぽい。この文体を真似すれば僕だって果てしなく長く物語を語れそうな気がする。でも実際にはこの文体を統御することはとても難しい。落とし穴がたくさんあって、それらを回避しきるのは至難の業だ。それはこの文体が登場人物の内面にも歴史的な背景にもほとんど誰も気づかないようなささやかな、でも言われてみると大切な識知にも自在に憑依してしまえることによっていると思われる。いくらでも書けるからこそ書かなくてもいいことまで書いてしまい勝ちな訳だ。もちろん橋本さんに及ぼうなどとは少しも思わないが、この文体を真似て少しでも読めるようなものに仕上げるには、何倍かの量を書いてから刈り込みに刈り込んで何分の一かに縮めるような、膨大な作業が必要な気がする。でもおそらく橋本さんはこの文体を制御する方法を十全に心得ていて、割と思い通りに書いて形にすることができてるんじゃないかと思う。そう思わせるだけの勢いが、どのページを開いても漲っている。
自分の来し方を物語化するのは難しいか。たとえばバブルの波に乗って羽振りが良くなったけど、バブルの崩壊と共にそうでなくなりました、みたいに言うのならそれは物語化としては簡単だ。簡単でわかりやすい。でもつまらない。それはあまりにも使い古された物語だからだ。橋本さんはバブル以前にあって、微妙に、でも決定的に人々に影響を与えた変化を丹念に拾っている。それは「日本の近代化」という大文字の変化とも違う、生活者目線の小さな変化の数々だ。それらは時代としてはバブルより古いけど、テーマとしてはバブルほど使い古されてはいない、この作品で橋本さんによって初めて見出され物語に取り込まれた新鮮なネタだ。橋本さんはそれらの古くて新鮮なネタと、主人公の個人史みたいなものとを見事に連携させて描いている。前述の自在な文体がそれを可能にしているという風に思えば、もちろんあらゆる作品はその作者にしか書けないものだとしても、これは特に橋本さんにしか書けない話だという思いが強まる。
すごくいい小説だと思った。これは思いつきだけど、もうひとりの「ナカタさん」の話だったのかも知れない。