指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

邪悪な世界。

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ入江真佐子訳 「わたしたちが孤児だったころ
未確認だけどこれは「わたしを離さないで」ばかりか「充たされざる者」と比べても前の作品になるんじゃないかと思う。語り手の生は「孤児」という言葉によって異化されているがそれは「わたしを離さないで」のキャシーが「提供者」という言葉によって異化されていることの原型のように思われた。後者の方がより徹底しているのでこの作品の方が前なんじゃないかという推測が成り立つ訳だ。もうひとつ「充たされざる者」を思い起こさせるのは語り手がほとんど同一人物ではないかと思われるほど似通っているからだ。そればかりでなく「充たされざる者」で意識的に方法として採用された「夢の再現」がすでにこの作品ににじみ出ている。
以上の二点が何を意味するかと考えて、手がかりとして語り手の幼児性ということに思い当たった。キャシーはそうではないが「充たされざる者」のライダーとこの作品のクリストファー・バンクスはなんだかすごく幼い印象を与える。ふたりとも両親をとても気にかけているし、相手の立場に立って考えたらちょっとその言い分は通らないだろうというようなことを平気で相手に強要する身勝手さを持ち、割にすぐ腹を立てときに激昂する。
でもそこまで考えて来るとふたりの相違点にも気づかされる。ライダーの幼児性が「夢の再現」という効果に向かって、言い換えれば作品のリアリティーのために設定されているように読めるのに対して、バンクスの幼児性は「孤児」という言葉によってバンクス自身が通常の生き方から切り離された結果のように読めるからだ。ではバンクスの生を異化した「孤児」という条件とは何か。その前に両親の記憶をこれほど保持したバンクスは本当に「孤児」なんだろうか。
結論から言えばバンクスは不完全な「孤児」という位置に置かれていてそのことによってかくも長い間にわたって邪悪な世界から守られていたということになりそうだ。世界は邪悪だ。邪悪過ぎる。