指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

小説らしい小説と、そうでない小説。

生きる歓び (新潮文庫) 保坂和志著 「生きる歓び」
表題作ももう一遍の「小実昌さんのこと」もなんとなくいわゆる「小説」っぽくない。どこがと言われると困るんだけどわざわざ「小説」と言わなくてもいいような気がする。でも「あとがき」で作者はどちらも「明快に小説なのだ。」と言っている。どちらも「あったことしか書いていないけど」。
とすればあったことしか書かないのにそれが小説作品になってしまうような場所とか方法とかそういうものを作者が探していることは、少なくともこの二編に限っては確かなように思われる。あるいはそうした試みが新しい小説の形になってしまうような事態を作者が目論んでいる、か、でなければ二編に書かれているような「あったこと」は小説でなければうまく造形できないような種類の何かを作者に与えた、か。つまりそれはエッセイや私小説という形ではまとまり切らず、小説と言うことで初めて形にできる何かだった、という風に。
どれであるかはわからないけどここでも「小説になる困難さを抱えた小説だけが、小説として書く領土を広げることができる。」という前に引用した言葉が生きているように思われる。