指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

パスタをぶちまける。

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

一昨日の記事で何本ものケーブルが机の上をのたうち回る様を、思いつきでパスタをぶちまけたようにと書いたんだけどそれで思い出した。実際にパスタをぶちまけたことがある。
まだ学生ですごく貧乏で風呂なしのアパートに住んでいた頃のことだ。夜中におなかがすいて買い置きしてあったパスタをゆで始めた。村上春樹さんの「スパゲティーの年に」じゃないけど、その頃は何かというとパスタをゆで出来合いのソースをかけて食べていた。カップ麺よりは手間がかかるけど、インスタント感はかなり薄められるのが気に入っていた理由だと思う。でもソースのためのトマトを箱で買ってきたりはしなかった。要するに間に合わせなのだ。あの頃はすべての食事が間に合わせだった。味わうより食うためのものだった。
鍋に水を入れて火をつけ沸騰するまで待つ。沸騰したら少量の塩を入れ(塩を入れると沸点が変わるのか急に煮立つ)、パスタを入れる。それほど大きな鍋ではないので鍋の縁からパスタが突き立つのを、時間をかけて鍋の中に収める。後は時計を気にしながらお湯を切るタイミングを計る。毎回うまく行くわけではないが目標はいつもアルデンテだ。
少し遅れてもうひとつの鍋に用意したお湯も沸き、そちらではすでにレトルトのパスタソースが加熱され始めている。後は予定調和的な結末を迎えるだけだ。パスタとソースは理想的なタイミングで加熱が終わるはずだった。運がよければあつあつのソースの下のパスタはアルデンテの食感になっている。そこまではいつも通りだった。
問題は夜中だったのでやや寝ぼけていたことだった。何かを忘れていたのだ。サラダやスープ?いや、間に合わせの食事にサラダやスープは必要ない。タバスコと粉チーズ?いや、それらを切らしたことは金輪際ない。タバスコを、封を開けたはいいが使い切れないうちの話を聞いたことがあるけど信じられない。僕は一人暮らしの頃数ヶ月ごとに新しいタバスコと粉チーズを買っていた。
忘れていたこと、それは換気扇を回すことだった。春先だったがすでに部屋には鍋二つが放つ湯気がこもってきていた。それに気づいてあわててレンジの上にある換気扇のひもを引いた。スイッチの入る手応えがなかったのでもう一度引いてみたがやはり同じだった。三度目に引いたときひもを引く感触がひどく頼りないなと思った瞬間、何かがすさまじい勢いで目の前に落ちてきた。それと同時にがしゃんというすごく乾いた無慈悲な音がした。何か決定的なことが起きたときの音は、後から思い返すとどれもすごく無慈悲な感じがする。
換気扇が枠ごとすっぽり抜け落ちてパスタとパスタソースの鍋を文字通り直撃した。鍋はふたつともレンジの上でひっくり返り膨大な量の熱湯とパスタを床の上にぶちまけた。ひもを引くと換気扇は枠ごと落ちてくるか?普通は落ちてこない。でもすべての換気扇について保証はできかねる。落ちてきた換気扇を知ってるからだ。
火傷ひとつしなかったのは、三回目に換気扇のひもを引いたときの感触があまりに頼りなくとっさに身構えたからだと思う。床にはおよそ一畳分にわたってお湯とパスタがまき散らされていたが、服はほとんど濡れていなかった。でもぶちまけたパスタを拾い集めるときは本当に情けない思いがした。