指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ピッツバーグ・スティーラーズの頃。

 今日池袋のGUに子供の服を見に行ったらNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)とのコラボTシャツを売っていた。そうたくさんの柄は無かったんだけど思いついてピッツバーグ・スティーラーズのものを探すとあったので喜んで買った。アメリカのプロのアメリカン・フットボールは小学校六年のときに何がきっかけだったか男の子の間でものすごく流行った。僕は父親の仕事の関係で大宮市(現さいたま市)に住んでいた。テレビでは週に三十分だけいつのシーズンのものかわからない、何試合かをまとめたダイジェスト番組を見ることができ、その他に年一度のスーパーボウルは中継だか中継録画だかで見られたんじゃないかと思う。ただニュースソースは圧倒的に限られていたので多くはヘルメットのデザインだけでひいきのチームを決めていたような気がする。ニューヨーク・ジェッツのファンがいて、マイアミ・ドルフィンズのファンがいて、ダラス・カーボーイズのファンがいた。僕もしばらくの間ドルフィンズのチームカラーとヘルメットのデザインが気に入っていたんだけどあるときスーパーボウルで優勝したピッツバーグ・スティーラーズの黒を基調として原色を三色使ったデザインのかっこよさに目覚めた。クォーターバックの名前をはっきり覚えている。テリー・ブラッドショー。今調べると彼を擁するスティーラーズが優勝したのは1975年の第九回、76年の第十回、79年の第十三回、80年の第十四回のスーパーボウルということだ。僕はそれぞれ11歳、12歳、15歳、16歳だった。どの試合を見てどの試合を見ていないかは覚えていないし調べてもわからない。でも少なくとも二試合は見ていると思う。おぼろげな、と言うか、それ以上にはっきりしない印象にまで薄れてしまった試合の中ではブラッドショーが数々のロングパスを成功させスティーラーズは多くの点を取っている。試合自体ももちろんすごくおもしろいんだけどとにかくテリー・ブラッドショーは光輝いていた。
 その十代初めから半ば過ぎまでが僕にとってのピッツバーグ・スティーラーズの頃だ。ブラッドショーがいなくなってしまってからスーパーボウルはあまり見なくなった、と思う。後年セナが亡くなってからF1を見なくなってしまったのと同じように。でも今でもピッツバーグ・スティーラーズのファンなんだ、と思う。今でもセナのファンであるのと同じように。