指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

記憶に残っている日付について。

1994年(アイルトン・セナが事故で亡くなった年だ。)の暮れも押し迫った頃に右膝を痛めた。そこは高校生の時に靱帯をのばして以来時々痛めて来たところだったので、またいつものやつかと思って暮れの帰省をしたが、正月を過ぎてもまるでよくなる気配がない。仕方なく実家の最寄りの大きな病院へ行くと、骨が微妙に折れていることがわかった。折れていると言うか、正確には剥がれ落ちてるって感じなんだけど、医者から受けた説明の詳しい部分は憶えていない。とにかく1995年の1月14日に入院し、1月17日に手術ということになった。

手術の日は朝から大騒ぎだった。何でもどこかで大きな地震があったらしい。でも病室にはテレビもラジオもウェブにつないだパソコンもない(あったとしても当時の僕には使えなかった。)。こちらは午後1時からの手術に備え、特殊な趣味をお持ちの方なら大喜びしそうな単語ふたつを実体験し(どちらも初めての体験だった。)、気もそぞろと言うか正直びびってて自分のことで手一杯だった。だから僕は阪神淡路大震災のライブ映像というのはまったく見ていない。

その後も阪神淡路大震災の報道を見る度に、これが撮影されていた頃、僕は全身麻酔をかけられて手術台に横たわり、右足をハムみたいに切り開かれていた(その模様を撮った写真を術後見せてもらった。)のだ、という思いが先に立ってなかなか映像の中に入って行けなかった。震災で僕などよりよほど大変な思いをされた方、亡くなられた方がいらっしゃるのはわかるんだけど、全身麻酔で手術というのも主観的にはすごく大変なことで、お前はとにかく自力で回復しろ、それ以外のことはとりあえず考えなくていいから、という体からのメッセージがバリアのように働いていたように思えてならない。そうすると、僕の「阪神淡路大震災」体験は、結果的に通常より薄めと言うしかない気もするんだけど。

ちなみにその後、地下鉄サリン事件のあった日に退院を言い渡され、上九一色村強制捜査が入った日に退院した。偶然なんですけどね。

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昨日の記事は酔っぱらって書いた。一部、書いた自分にも真意をはかりかねる箇所があるけど、まあいいです、このままで。