指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

「回転木馬のデッド・ヒート」から「夜のくもざる」まで。

パン屋再襲撃 (文春文庫)

 長編に比べると短編集は短い時間で読めるような気がする。
 「回転木馬のデッド・ヒート」が出たのは1985年で僕は翌年その単行本を買った。21歳だった。文庫版が出ていればそちらを買ったはずだけどまだ出てなかったんだと思う。ちなみにこの本は文庫版も持っている。随分何度も読み返した気がするけど例によって気に入った作品だけを何度も読んでたに過ぎないようだ。よく覚えているのは「レーダーホーゼン」と「嘔吐1979」だけであとはところどころ印象的な表現を覚えてるもののストーリーはまるで忘れてる作品が多かった。確かにちょっと不思議な短編が集めてあるけど後年の長編のぶっ飛び方に比べれば随分ささやかなものじゃないかと思う。ただし方向性はやはりファンタジー寄りと言っていい。一般的なリアリズムから少しずつそちらの方へ近づいて行く過程のように見える。もちろん作者の目指すものがその先にあったということだろう。
 今日取り上げる中では最も気に入ってる「パン屋再襲撃」。1986 年刊行でこれは出たばかりのとき単行本で買った。22歳。今回は単行本が見つからなかったので文庫本で読んだ。これはどの作品も比較的よく覚えている。表題作は船に乗って海底火山をのぞき込むイメージが当時よくわからなかった。その頃はいろいろな本を読んで実にいろいろなことがよくわからなかった。今から思うと、わかる、ということをきまじめに厳密に受け取りすぎていたように思う。僕たちは買い換えたばかりの端末のマニュアルを理解するように小説を理解する必要はないんじゃないかと今なら思う。もっと離れた位置から俯瞰で理解する仕方もある気がする。そしてそういう風に読んでみると海底火山の暗喩は激しい空腹を表すものとして割にすんなり腑に落ちる。意味ではなくイメージとして。「象の消滅」も好きな作品のひとつだ。アメリカで最初に出た短編アンソロジーの表題作というのもうなずける。お話としてとても普遍的に誰にでも通じるような気がする。そしていちばん気に入ってる「ファミリー・アフェア」。ここでは鼠三部作である程度確立されていた「僕」の像が高度資本主義的、バブル的な方向にずらされている。職業も広告関係だしいろんな女の子と寝てまわっているし言動もどこか軽い。でもだからこそ彼の負う哀しみが逆にくっきりとした形をとっているように感じられる。そこがとても好きなのだと思う。「双子と沈んだ大陸」の主人公が感じる疎外感もいいけどここに笠原メイが出て来ることは忘れていた。逆に後に「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭部分になる「ねじまき鳥と火曜日の女たち」に出て来る少女はまだ笠原メイではない。ちょっと不思議だ。
 サイト「村上春樹研究所」によると次に古い短編集は「ランゲルハンス島の午後」ということになっているけどこれはエッセイ集と言った方が近いかも知れない。刊行は1986年。ずっと文庫版で読んできたけどいつだったか単行本をブックオフで見つけてこれは千円近くしたと思うけど買った。今回は単行本で読んだ。「みみずくは黄昏に飛びたつ」で川上未映子さんが表題作について触れてるけど確かにその一編はとてもすてきだと思う。
 次が「TVピープル」で1990年に出ている。これもすぐに買った。26歳で数ヶ月後に僕は大学を卒業して就職することになる。「加納クレタ」や「眠り」のように女性の一人称が初めて現れて若干の違和感と共に作風が変わって行くのが感じられた。今読み返すと「眠り」はむしろ自己が現実から遊離して行く過程の方がより際立った特徴のように思われる。ただ彼女は現実から遊離することを通して失われていた自己を回復しているのだとも言える。それが正しいことかどうかはさておき。それとあまり覚えていなかったんだけど「我らの時代のフォークロア ―高度資本主義前史」がとてもよかった。かつてこういう倫理観はあったんだろうしそれに振り回される形で小さな不幸がたくさん生まれたんだろうと思う。でも結局誰も責めることはできない。そういうことがテーマのような気がした。
 今日最後に触れるのは「夜のくもざる」。刊行は1995年、僕は31歳で前年の暮れに右膝に怪我をしてこの年の1月17日阪神淡路大震災の起きた日に手術を受け地下鉄サリン事件を受けて上九一色村サティアンに警視庁の捜査が入った3月22日に退院してこの本が出たときは自宅療養していた。随分前に一時期「メンズクラブ」を買ってたことがありそのときJ・プレスの広告に村上さんの短い文章が載ってたのを何度か読んだ。それがとても気に入って自分でも似たような短い文章を書いて当時つき合ってた女の子にプレゼントしたりしていた。これがいつかまとめて読めたらいいなと思っていたけどそれがこの本の前半に収められた「超短篇小説」の数々だった。でもそんなこと全然忘れてたし今回も全部読み終えて作者たちのあとがきを読んで初めてそうだったことを思い出した。こうなるともう自分の記憶なんてまるで当てにならないと諦めるしかない。とりあえず次から次へと楽しく読んだ。
 という訳でこの前読んだばかりの「一人称単数」を除くと残った短編集は四冊だけになった。その後「象の消滅」と「めくらやなぎと眠る女」も読もうかどうか迷っている。バージョン違いが読めるとは言えどちらも随分ボリュームがあるしね。