- 作者: ニーチェ,Friedrich Nietzsche,秋山英夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1966/06/16
- メディア: 文庫
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でもそれだけでは再読には至らなかったに違いない。今年に入ってドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、埴谷雄高さんの「死霊」と、自分なりに大切だと思っている作品を相次いで読み返しているうちに、この余勢を借りれば「悲劇の誕生」も読み返せるんじゃないかと思えたことが大きかった。文庫ボックスから取り出そうとしたらあまりにぎゅうぎゅうに詰められていて引っ張り出すことができなかったので、同じ本をまた買った。
読み返してみて驚いたことに思ったよりずっとわかりにくい本だった。以前読んだとき(もう二十年以上前のことだけど。)はこれからしばらくかけてニーチェ全集を最後まで読もうと思ったほどにこの本に惚れ込んだ記憶があるのに(それが挫折したいきさつは前に書いた通りだ。)、その自分が他人みたいに思えたほどだった。まあ二十年以上前の自分なんて他人も同然だけど。何だか地に足が着いてないみたいに筆者はところどころで異様に興奮しているし、自分で持ち出した概念なのに(だからこそ?)ページによってはどう考えても意味がぶれているとしか思えないところがある。確かに読みにくい文体ではあったけど、そこを我慢して奥まで手を伸ばしあれとこれとを注意深くべりべり引きはがせば、論旨は意外とすっきりいくつかの主張にまとまったような印象があったのだけど、今となってはどれだけ強引に図式化すればそういう印象が生まれるのか正直不可解だ。
それで肝心のディオニュソス的とアポロ的だけど、今回つかめた限りでは吉本さんの概念と安易に対応させることはできないんじゃないかという気がする。ニーチェのつくった概念は、つくったものとは言え歴史的に一応の根拠があり、その根拠から逸脱しないようにすると意外と制約が多く再利用には向かないように思われる。後はもう少し抽象化したり喩を仲立ちにしたりすれば幾分ニーチェと吉本さんを近づけられる気もするが、そうするためには吉本さんの概念をもう一度たどり直す必要があり、それは取りも直さず「言語にとって美とはなにか」を読み返すということで、それだけの気力は無かった。少し休んだら気も変わるかも知れないがとりあえずここでいったん立ち止まって、再読マイブームを終えることに決めた。碇シンジなら、逃げちゃ駄目だ、と言うところだろう。言っとけ。