指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

岡山後楽園の幻想庭園。

出張中で今日は広島の得意先を二軒回った後新幹線で博多までやって来た。天神の得意先一軒に寄ってその後その建物の地下にある喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ。行きつけの店以外喫茶店には入らなかったが、最近は割に利用するようになった。名古屋栄にも一軒自分なりの行きつけの店ができたし、今日も広島でドトールに入った。天神はとりあえず今日の仕事が全部終わった後だったのですごく気分がよかった。出張で一番いいのは、その日の仕事が終わった後の数時間だと思う。これは仕事がうまく行った行かないにあまり関わりが無い。読みさしの本の続きを読みながら煙草を数本吸った。
昨日は岡山に泊まった。岡山まで来るとその後たいてい広島まで足を伸ばすので、泊まることはあまり無い。せっかくなので岡山の得意先の女の子を飲みに誘った。結局ほとんど飲まないという女の子ふたりと食事することになったが、その前にお連れしたいところがある、と言う。それが岡山城と後楽園だった。出張では時間も心の余裕も無いので、観光することはほとんど無い。ここ四年ばかりで何度出張に行ったかわからないが、一昨年だったか広島で原爆ドームを見に行った以外観光したことは無い。その瓦礫のリアルさには立ちすくむ思いだった。
岡山城は時間的にもう中には入れなかったが、そのたたずまいはきちんと目に納めた。思ったより小さく、また小綺麗すぎる気がした。それはまあ仕方ない。後楽園は地面に置かれた明かりで夜を照らす幻想庭園という企画の真っ最中で、暮れて行く中にひとつずつ明かりが灯されて行くのを眺めた。木々の上に岡山城が望め、さらにその上には広すぎる空が薄い雲に覆われて徐々にその光を失いつつあった。ライトアップはトリッキーで人工的に思われたが、それをそう感じさせないのがふたりの女の子の話だった。ふたりとも岡山育ちなので目に映るいろんなものに対してたくさんの思い出や逸話を持っていた。それを聞くともなしに聞いているうちに、庭園に時間の重みが加わって行くのが感じられた。それは後楽園がつくられた時代には届かないかも知れないが、少なくとも彼女たちが過ごして来た時間の幅を想像させるに充分な重みだった。その目を借りて眺めると、目の前の人工的な光が趣を変える気がした。岡山城もより堂々として見えた。地元の人の案内というのはやはり大したものだなと思った。
それからそういう日本的な趣とは全然関係ないんだけどおいしい中華料理があるというのでその店で食事をした。ふたりは一滴も飲まず、僕だけ生ビールを三杯飲んだ。夕暮れの散策の後でそれはひどくうまかった。料理もうまかった。ふたりに案内されなければそんな店のことは一生知らなかったろう。岡山城にも後楽園にも行くことは無かったろう。