指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

大きな物語と小さな物語。

浮世でランチ (河出文庫)

浮世でランチ (河出文庫)

山崎さんの作品は確か「人のセックスを笑うな」だけは読んでるはずなんだけどどんな話だったか全然憶えていない。ただその本のタイトルと「ナオコーラ」という人を食ったようなペンネームからそれなりの戦略と言うか、ある種の過激なイメージを身にまとうつもりを感じた。「浮世でランチ」もすぐにバロウズの作品を思い浮かべるタイトルだし、読んでないけどバロウズと言えば過激だから(我ながらひどい言い草だね、まったく。)、過激な話なんだろうと思って読んだら全然違って、シャイで繊細な主人公の抱く世界に対する違和感が描かれていた。
世界になじめない主人公というのはひとつの系列がつくられていると言っていいほど、小説の世界ではおなじみだ。彼らは群れる他者たち、個性よりも協調性を尊重する他者たちを自分から疎外し、同時にそういう他者たちから疎外される。でも共同性と個性は突き詰めると必ずどこかで矛盾するという前提に立てば、群れる他者たちも決して一枚岩なのではなくそれぞれがそれぞれの色合いで共同性に対する違和を秘めていることは明らかだ。主人公たちがこのことに気づかなかったりこのことを忘れたりすればそれなりの報いを受けなければならない。大きな物語に小さな物語が突き刺さり、主人公が胸を突かれる一瞬がとてもリアルに描いてあった。またその一瞬を表面上主人公が無かったことにした分、それは十年後に再び捉え直されなければならなかった。そういうことになると思う。
お前はどうなんだと問われると相変わらず大きい方の物語を採用して世界になじめない主人公を演じているように思われる。それは傲岸で不遜な主人公だ。ただ自意識というのは年齢と共に衰退して行くので、傲岸さも不遜さもその衰退する曲線に沿って自然減している気がする。それでも自分を越えた何か、共同性を前提とした絶対的な何かに帰依するようなことはこれからも決して無いに違いない。