指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

さん付けの作法。

少し前のid:numberockさんのエントリで、村上春樹さんのさん付けのことが触れられていた。それで自分はどうかなとちょっと考えた。村上春樹さんにはさんを付ける。中上健次さんとか、吉本隆明さんも同じだ。漱石や鴎外は付けない。太宰治も付けない。小林秀雄は微妙だけど付けない。ドストエフスキーコーマック・マッカーシーにも付けない。
原則は少なくて、まず外国人の名前には付けない。日本人でも自分が読み始めた頃にすでに物故していた作者には付けない。だから古典や準古典の作者にも付けない。それならいっそのこと誰にも付けなければよさそうなものだが、今現在活躍中の作者と、少なくとも自分が読み始めた頃にはご存命だった作者には付けている。小林秀雄はおそらく自分が初めて読んだときには生きていたが、あまり親しみが無いので付けない。
評論などによくある、「村上はこう言っている。」とか、「吉本によれば」とかいう言い方がすごく嫌いなのでそういうことになったと思われる。「漱石が」とか「ドストエフスキーは」なら気にならないけどまだ存命中の作者をつかまえて呼び捨てにすることが個人的にはすごく尊大な物言いに聞こえてしまう訳だ。お前はこの作者のなんなんだ、どうしてそれほど気安く呼び捨てにできるんだという気がする。そういうのが評論の慣例なのだとしても、他に効率のよい方法が見つからないのだとしても、僕は親しみのある作者たちに対して呼び捨てで何かを書くということができない。こういうのってわかりにくいですかね?