指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「私にとって眠れない夜は、不親切な時計屋と同じくらい希である。」

昨日飛行機を降りて電車で帰宅する途中で腕時計が止まっているのに気づいた。このブログでも何度か触れたタグホイヤーアイルトン・セナが亡くなった1994年にはすでに持っていたのでおそらく二十五年くらい前に買ったものだ。定価12万5千円のものが量販店で値引きされていたのでそう高価なものではない。でもとても気に入ってずっと身につけている。このブログによると2006年にベルトの一部が損傷したため修理に出し、本国スイスまで数ヶ月の旅をしてきている。その他数年ごとに電池交換を行う際、防水性がどれほど保たれているかのチェックを受け、最後の電池交換のときに防水性はほぼ完全に失われているので水は絶対に避けて下さいと言われた。その他にもあちこちがたが来ていて息も絶え絶えというところで辛うじて動いているのかも知れない。家人はそれほど愛着があるのならいつかもう一度スイスに修理に出して直せるところは直せるだけ直したらと言ってくれている。2006年の段階でそれだけのことをすると八万かかると言われ、正直買った値段より高くつくので二の足を踏んだ。でもそうするだけの価値があるのかも知れなかった。
今日買い物先でたまたま見つけた時計屋さんに持って行き電池交換を依頼すると五十台に入ったばかりと思われる店主らしい男性から防水チェックをしますかと尋ねられた。防水機能はもう駄目だと聞いているので電池交換だけお願いしますと答え費用とかかる時間を聞いてから他のフロアで買い物をして再び時計屋に戻ると原因は電池切れではないと言う。これはもう随分古いものですね、と言ってから中に小さなごみが入っていてそれが内部のどこかに挟まってしまうと動かなくなると教えてくれた。本国に送れば全部直るとは聞いているのですが、と答えるとおそらく本国にももう部品は無いし、内部の掃除だけなら国内でも充分対応できるところがあると言い、どこがいいか近くのお店の名前まで教えてくれた。最後にお支払いはと尋ねると電池を交換してないので支払いはいいと言う。でも現に時計は動き始めた訳だし時間も日付も合わせてもらっていた。これで何も支払わないのは申し訳ない気がしたがちょっと考えてみてこれ以上どうしようもないように思えたので、どうも大変ご親切に、と頭をひとつ下げて店を去った。これまでの経験から言って時計屋さんというのはみな基本的にとても親切な人ばかりのような気がする。製品ひとつひとつに客が抱く愛着のようなものをさりげなくでもとてもよく理解してくれているように思われる。タイトルはフィリップ・マーロウの台詞のもじりでオリジナルは不親切な時計屋ではなく太った郵便配達人なんだけど、もしかしたら不親切な時計屋さんは太った郵便配達人以上に珍しいかも知れない。