指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

読者登録の解除につきまして。

 ここのところふたつほどのブログで読者登録を解除させていただきました。読んでいても僕には合わないかなと思ったからです。どちらもたくさんの読者がついてるのでまあ僕ひとりが読者をやめても大した影響はないよねと思ったせいもあります。もしかしたら随分前にも書いてるかも知れないんですがブログを始める前自分のサイトを管理してた頃の話です。まあそんなことしてたせいで家人とも知り合えた訳です。でも今申し上げたいのはそういうことではありません。当時相互リンクという言葉がありました。サイトを持つ者同士お互いにリンクし合いましょうよという趣旨です。それで友だちの輪が広がってサイトへのアクセスが増えるならお互いにとって悪いことじゃないじゃないですか。ところが数年経つうちにリンク先が開店休業状態になっちゃうことがあるんです。まったく更新されなくてBBS(懐かしいね。)なんかに書き込みをしても年単位でレスがつかない。そういうサイトに無責任にリンクを張ってるというのは自分のサイトを訪れてくれた人に対して失礼なんじゃないかと僕は考えるようになりました。それでそういうサイトへのリンクを解除できないかなと思いついた訳です。もちろんHTMLをちょっと書きかえればいいのでリンクをなしにするのは至極簡単です。でも一方的にリンクを解除するのはやはり失礼なことのように思われました。そのとき相互リンクという習わしが持つ半ば強制的な感じに初めて気づいたと言っていいと思います。言い方を変えるとひとたび相互にリンクしたら半永久的にリンクし続けなくちゃいけないのかということです。サブスクみたいなものでしょうか。やめてもいいのにやめるきっかけが見つからないみたいな。それで僕は積極的にリンクを解除して行こうという方針を立てました。それと自分の方からは相互リンクを持ちかけないという方針も。持ちかけられたときは礼儀上相互リンクする。でもその後長い間あまりやりとりがないようだったり相手のサイトのあり方に納得が行かなくなったりしたときはリンクページからそのサイトを削除する。もちろん相互リンクするときに申し訳ないけどこちらから一方的にリンクを解除することがあり得る旨相手には伝えておきます。その頃も今も同じように僕が考えてるのは相互につながることをウェブ全体があまりにも重視し過ぎまた奨励し過ぎているんじゃないかということです。そしてそれはちょっと恐いことなんじゃないか。つながりを断ち切る過程がどこかにないとバランスが取れない気がするんです。それはまあひとつの勘みたいなものに過ぎないかも知れませんが「つながる」という<行き>の過程は「つながりを絶つ」という<還り>の過程をどこかに含んでいなければいけないようなイメージが個人的には抜きがたくあります。そのことを僕は吉本隆明さんが描く親鸞像から学びました。この前は核を例に挙げて核という<知>は核を無化(なかったことに)できる<非知>を内包しているべきだったと書きました。同じように核開発を<行き>の過程として核廃絶を<還り>の過程として位置づけることができると思います。おそらくどんな場面においても<行き>があれば必ず<還り>があるんです。だから僕は今もあまりやましさを覚えることなく読者登録を解除することができます。それは還ることだから。無化し元に戻すことだから。そして皆さんに申し上げたいのはいったん読者になってしまったからと言って読みもしないブログに対して半永久的に読者でいなければならない義務も義理もないんじゃないですかということです。いや楽しく読んでるなら別ですよ。読みもしないのに、です。むしろ世界全体のバランスを保つためには読者登録なんか積極的に解除していった方がいいんじゃないでしょうか。さしあたりこのブログからでも。