指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

驚いたこと。

 昨日の昼過ぎにプールの受付にいると幼児のスイミングスクールに参加する子供を連れた保護者の方々がやって来た。たいていはお母さんで皆さんそれなりに気を遣った服装をしている。挨拶すると子供も保護者も挨拶を返してくれる。そのうちのひとりのお母さんが何も言わずに受付を抜けて行くので無愛想な奴だなとちょっとだけ思った。でもまあ客全体のある程度の割合は挨拶をするのが嫌みたいなのでそれはそれで構わない。そしたらその無愛想が帰りしなに立ち止まって言った。あれ?先生ですか?それで改めてまじまじと見つめるけど誰だか全然わからない。僕は割に人の顔覚えがよくて家人によく感心されたりする。転校が多かったので人の顔色ばかりうかがって育ったからと自分では自嘲気味に考えている。だから一度会ったことのある人の顔はまあまあ忘れない。でもそのお母さんに関してはまったく心当たりというものがなかった。という訳でしばしきょとんとしてると彼女の方で名前を告げる。それは塾を始めたとき二番目に入ってくれた当時中一の女の子だった。彼女に関してはこのブログでも何度か触れている。男の子しか育てたことがないので女の子のかわいさってのがわからなかったんだけどこの子に会って少しわかった気がした。すごくなついてくれたみたいだったし。ただ学校では割に悪い子で小学校のときは教師との間で問題を起こした。そして反省するどころかそれを武勇伝みたいに吹聴するような子だった。中学でも目立たないように校舎のあちこちに自分の名前を書いて回ってるんだと言っていた。なんでかはわからないけどとりあえず褒められた行いではない。おまけに勉強というものをほぼまったくしなくてあるエントリには夏休みの数学の宿題をすべて肩代わりしてあげたいきさつも書いてある。ひとりじゃできないと言うのを見るに見かねてのことだった。でも正直言って彼女と一緒にいるのは楽しかった。地味だけど確実に気が合っていた。でもまあいずれにせよそれも十年ほど前の話だ。
 名前を聞いてびっくりしたのもあったんだけどそれより驚いたのはお子さんの年だ。彼女はうちの子よりひと学年上だったからたぶん今は二十三歳とかそんなところだと思う。その年で幼児のスイミングスクールに通うような年の子がいるとはなかなか考えにくい。それでお子さんっていくつなのと尋ねるとそれでも敬語で三歳ですと答える。じゃあ君今いくつなのと尋ねると二十三ですと言う。結婚してるかどうかが気になった。意外と結婚はせずに子供を育ててるような気がしたからだ。でもそれについては訊くのがはばかられた。するとこんなところにいて先生塾やめたんですかと言う。やめてないよもうちょっと大きくなったらお子さんうちに入れてよと言うと心から嫌そうに顔をしかめてえーっ?と答える。それから僕は受付の仕事が忙しくなったので彼女を少し待たせた後じゃあ元気でねと声をかけると彼女はきびすを返して帰って行った。一体何が起こったのか。そのことの意味をたぶんうまくつかみかねてるんだと思う。でももう一度会いたいかと言われれば別にもういいかなというのが答えになる。それはあの頃という時間枠の中に永久凍結されてるような思い出だからだ。それはこちらから手をさしのべて揺り動かせば何か大切なものが損なわれてしまうような種類の思い出だからだ。彼女も僕もそこから遠く隔てられてしまったしその間に彼女にお子さんが生まれたようにお互い取り返しがつかないほどの変容を受けた。今さら新たな何かを追加したところでそれはお互いにとってそれほど意味のあるものじゃない。オフコースの古い歌にもあるようにそれは「そっとそこにそのままでかすかに輝くべきもの」なんだと思う。僕は昔からこの曲と歌詞のこの部分がとても好きだ。
 今日のスイムは八百メートル泳ぐのに24分25秒と昨日より遅くなった。一応最低限の目標であるひと息で二百メートルは達成できたんだけど相変わらず息が苦しい。それで気づいたのはこの苦しさは七日間のブランクのせいじゃなく風邪が治りきってないからなんじゃないかということだ。要するに泳ぐのには時期尚早ってことかな。ちょっと考えれば当然のことになかなか気づけないのが少なくとも僕の人生にありがちなパターンのひとつということになる。だとしてももちろん明日も泳ぐ。