指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

しゃべりすぎる床屋が嫌いだ。*1

髪型とかにはまるで関心がない。これには一応思い当たる理由があるんだけど、長くなるのでここでは省略。とにかく髪型などどうでもよい。整髪剤は何ひとつ持っていない。自分でドライヤーをかけたことも生まれてこのかた数えるほどしかない。それも単に風呂上がりに髪を乾かすためだけだ。

おまけに床屋が嫌いだ。これには思い当たる理由がない。じっとしてるのがいやとか、人に体を触られるのがいやとか、そういうことから来ている気がするがはっきりしない。物心ついたときには、すでに床屋嫌いだった。美容院には行ったことがない。でもたぶん嫌いだろう。

そんなわけで、一大決心して床屋へ行くときはできる限り短く切ってもらう。そして我慢しうる限りぎりぎり長く伸びるまで次の決心はしない。今日は仕方なく決心して床屋へ行った。

この界隈に住み始めて10年くらいになるが、行きつけの床屋は今のところで3軒目になる。もともと関心がないのでどこでもいいやと思って通っていたら、家人がそこの床屋はあまり腕がよくないのではないかと言うので変えた。次の床屋もあまり気に入らないようだった。今通っているところはなかなかいいのだそうだ。自分ではよくわからないが、ここはひとつ人の言うことを信用してみようということで、一年くらい前からそこに通っている。

ただこの床屋は話しかけてくる床屋だ。しかもそれを客に対するサービスのひとつと考えているようで、話の接ぎ穂が折れたときなどしばしの沈黙の後、じゃあこんな話ならいかがですかといった感じでまるで別の、しかし当たり障りない話題を振る。この何となく気をつかわれている感じが何とも居心地を悪くさせる。でも黙っていて下さいとも言えない。つらいところだ。

この床屋はカルテみたいのを付けていて、顔なじみではないせいかフルネームを聞かれ、答えるとそれを調べて前回いらしたのは5月でしたね、などと教えてくれる。確かゴールデンウィークに髪を切った記憶があるので3ヶ月半ぶりみたいだ。まとめて切るよりちょこちょこ切った方が楽ですよ、とか言わずもがななことまで言う。調髪とシャンプーとひげそりあわせて1時間ちょっとを、何とかやり過ごす。

そう言えば女性の方はご存じないかも知れないが、床屋には決まった儀式がふたつある。ひとつは最後のブロー、もうひとつはブロー後のほんのちょっとしたカットだ。ブローではたいてい、自分が一生望まないような斬新な髪型にセットされて鏡を眺めながらぎょっとする。今日は割とこんもりした七三分けにされた。あれはどうしてあんなことをするのだろう。セットの構成力とか技術とかを誇示したいのだろうか。客を新しい姿にすることを通して、新しい自己像を手に入れるよう提案しているのだろうか。それともより儀式的な仕上げ感を演出するためだろうか。

ブロー後のほんのちょっとしたカットも、やる床屋さんが多いけど意味がよくわからない。数ミリずつほんの数回カットするだけで、何かが変わるとも思えないんだけど。

床屋を出た後、七三を破壊すべく力を込めて何度か髪をなでつけた。その甲斐あってか帰宅を待っていた子供が僕を見るなり言った。パパぁ、なんだかスマップみたいだねえ。恥ずかしいのだが、ちょっとうれしかったので書き留めておく次第です。