指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

髪を切りに行く。

 いつも行くQBハウスは最近いつ行っても混んでる。それでたまに通りかかると割に空いてるように見える東京駅丸の内側にあるQBハウスに今日は行くことにした。前職で外回りをしてたときは週に三回か四回は東京駅を利用していた。東京駅周辺に得意先があったり別の得意先に行くのに東京駅で乗り換える必要があったりしたからだ。でもその仕事を辞めてからは滅多に行かなくなった。年に数回といったところかと思う。最近行ったのは子供に味噌カツをご馳走してもらったときでそのときものぞいてみたら丸の内のQBハウスは空いていた。なので今日行ってみることにした訳だ。待ってるお客さんはひとりだけで僕は二番目だった。五分くらいで切り始めてもらえたので目論見としては成功だったと思う。前にも書いてるかも知れないけど僕は床屋へ行くのが嫌いだ。街の床屋へ行くと髪を切ったりシャンプーしたりひげを剃ってもらったりして結局一時間以上かかることが多い。まあ家人の行く美容室に比べれば短い時間かも知れない。でも個人的な感想を言わせてもらえばそれでも充分長い。じっとしてることが特に苦手な訳じゃない。ただし床屋のイスに限って言えば話は別でそれに座ってじっとしてることが本当に苦痛だ。理由はよくわからないけど子供の頃からそうだった記憶があるのでもともとそういうタイプだったとか忘れてしまった何かトラウマのようなものがあったとかそういうことなんじゃないかと思う。だから十分カットを標榜するQBハウスを見つけたときはこれだと思ったし以来ずっと愛用している。料金も最近ちょっと値上がりしたけどそれでも千三百五十円で街の床屋の三分の一くらいだし。ただしできあがりはお店や理容師さんによってまちまちなので誰にでも簡単にお勧めできるものではない。僕みたいに髪型というものにほぼ百パーセント関心がなくとりあえず切ってありさえすればよいという人にはうってつけだと思う。どうして髪型に対してそんなにぞんざいなのかについてはある個人の名誉に関わることなのでここでは触れない。という訳で今回は家人に言わせればあまり上手じゃない理容師さんに当たっちゃったみたいだけどもちろん一切気にしない。もとより覚悟の上だ。それくらい髪型に関心がない。だから人の髪型を見てその良し悪しを云々できる家人のことが正直言ってよく理解できない。そう言えばずーっと昔のことになるんだけどつきあい始めて間もないいちばん初めの彼女と銀座で待ち合わせたときに彼女が髪を切ってきたことに気づかなくてえらい目にあったことがある。当時はまだその彼女がどれほどエキセントリックかがわかってなくて申し訳ないけどそれが誰であっても髪型というものに関心が持てないんだと無力な言い訳をして話をこじらせにこじらせてしまった。確か別れる別れないというところまで行った記憶がある。他者性という言葉を初めてリアルに感じたのがそのときだった。他者性という言葉はかっこいいかも知れないけどそれを思い知る過程はみじめで無残でかっこわるい。みじめで無残でかっこわるい現実を少しでも取り繕いたくて僕はそれを言葉にし続けてるのかも知れないと今でもときどき思う。