指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

消えたホームレス。

子供の足に合わせて歩いても5分以内に大きな公園がひとつと小さな公園がふたつある。15分くらい歩く気なら隣の駅の近くまで行け、そこにも大きめの公園がある。要するに公園には恵まれている。家人が毎日のように子供を公園に連れて行くようになってどれくらい経つだろうか。たぶん2年と3年の間だ。
でも夫婦揃って人づき合いがあまり得意でも好きでもないので、いわゆる公園デビューという道は通らなかった。公園でできたお母さんたちのサークルの話で、毎日回りもちで誰かの家に集まって昼食をとるというのを聞いたことがあるけど信じられない。正直よくそんな面倒なことができると思う。まあそんな訳で人が結構集まる最寄の大きな公園からは自然に足が遠のくこととなった。ふたつある小さな公園のうち大通りを渡らなくても行ける方がいつもの公園だ。
初めて行ったときからこの公園にはホームレスと思われる男がいた。年は僕より少し下、身長は僕と同じくらい*1で日に焼けた精悍な顔立ちをしている。そして小さな犬を一匹飼っている。通勤の途中で散歩させているのを見かけたこともあった。普段人気のない公園の管理事務所みたいな建物の軒先に居を定め、誰が公園に来てもまるで注意を払わない態度がかえって安心に思われて、ほとんど警戒したことがなかった。でももちろん(と言っていいと思うんだけど。)言葉を交わしたことは一度もない。こちらもまるでそこに誰もいないかのような風を装っている。
交流はなくても彼を見かける度そこにはやはり何がしかの思いが生じる。たとえば彼が花壇をふたつ並べておそらくは寝台としているあたりは、夏場は結構蚊がいるのだが大丈夫なのだろうか。すぐ近くに止めてある自転車の荷台には蓋のついた大きめのクリアボックスがくくりつけてあり、中にはいっぱいに古本らしきものが入っている。彼は定位置の寝台がわりの花壇に腰掛けそれをずっと読んでいる。読み終わると本の周囲に丁寧に紙やすりをかけているのだが、それらの古本はどこから調達しているのだろうか。やすりをかけるのは本を売るためなのだろうか。そしてそれが生活の糧となるのだろうか。犬にはどんなえさをやっているのだろうか。そこで膨大な時間を過ごすということはいったいどんな体験なのだろうか。
その彼が今日消えた。ふたつ並んだ花壇はそのままに、自転車も毛布も菰みたいなものも犬も消えていた。家人によると昨日までは確かにいたそうだ。でも今日は何もかもなくなっていた。
彼はどこへ行ってしまったのだろう、というのが今日のテーマかと言うとそうでもない。たぶん彼なりの何かのっぴきならない事情があっておそらく初めてでも最後でもないその引越しが行われたのだろう。それ以上詳しく立ち入る権利も必要もない気がする。
ただ彼がいなくなってみて初めて結構気になっていたことに気づいた、そのことが我ながら思いがけなかったということだ。なんかありきたりな結論なんだけどそれを身をもって感じている僕は今すごく不思議な思いの中にいる。彼が消えなかったら、彼について書こうなんてことは思いつきもしなかったに違いない。

*1:僕は180センチに5ミリほど足りない。