指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

懐かしい場所。

この話には中心がふたつある。ひとつはお店でもうひとつはG君という友人だ。
前にも書いたことのある、何種類ものカップを用意していてその中からランダムに選んだものにコーヒーを入れて出してくれる喫茶店に今日外回りの途中ちょっと寄り道して入った。結婚してから一度家人と行った憶えがある。まだ家人が妊娠する前だったので八年ほど前のことだ。そのときはカウンターの中に見知ったスタッフの顔はなかった。今日は髪もひげも相当に白くなっていたがひと目でそれと見分けられるマスターがいた。カウンターの席を示されそこでコートを脱いでいると、あの、早稲田に入った人?とマスターが尋ねた。名乗ったことはなかったと思うので彼が僕について知っていることと言えば当時在籍してた大学の名くらいなのは無理もなかった。それだってどうやって知ったのかよく考えるとわからない。そうです、お久しぶりです、と答えた。今日僕が行ったのは、定休日以外は毎日通っていた頃とまるで同じくおいしいコーヒーを飲みながら本を読むためだった。その頃のマスターは極度に口数が少なくプライベートなことなど一切話した憶えがない。だから今日もそこで会話は終わるものと思い、椅子にかけて本を取り出そうとした。すると続けて彼は言った。お友だち、たまに見えますよ。それがG君のことだった。
G君のことを考えるといつもエキセントリックという言葉が思い合わされる。知り合った頃の彼は僕と同じ予備校に通っていた。ただし彼は理系で校舎のある場所が違っていたので通常なら出会うことはないはずだった。引き合わせてくれた人がいたんだけどそれはちょっとややこしい話なのでここでは省く。スペイン語に堪能で自転車を自分でパーツを買って来ては組み上げていた。僕にはあまり興味の持てないある種の専門的な読書傾向を持っていた。話が合った、のかどうかはよくわからない。ただお互いに大学に入ると(彼は文転して同じ大学に入った。)、休日によく僕の下宿先に自転車でやって来ては、話をしたりお茶を飲んだり、彼が貸してくれた自転車に乗って近くの公園に行ったりした。(この話をしたらお前らつき合っていたのか、と家人は言った。)入り浸っていた喫茶店の常連として週日も夕方になるとよく顔を合わせた。その店が閉まることになり、今日行った店に河岸替えしたのは前にも書いたが、それはG君も同じだった。大学では彼は持ち前の理系的思考を癒すためにコンピューターの課外課程をとり、ベーシックとかフォートランとかコボルとかやっていたらしい。何度か説明を受けたが話がよくわからなかった。結局そっち方面の企業に就職した。
僕は1994年の暮れに大きな怪我をして翌年の3月まで入院しさらに一ヶ月強の自宅療養を経て仕事に復帰したが、傷めたのが足で復帰時にも松葉杖をついていたのでそれまでのアパートからは会社に通うことができず、すごく慌ただしくそこを引き払って会社の近くに引っ越した。G君ともそれきりだ。
あのお友だちとは会ってないんですか、とマスターは続けた。いや全然会ってないです、と答えた。もう十四年が経つ。僕は自分がG君に対してすごく懐かしくでも何だか複雑な思いを抱いていることに気づいた。それを説明することはとても難しい。自分にとってさえ難しいのだから誰であれ相手に説明するのはもっと難しかった。マスターに名刺を託して彼に渡してもらうこともできたのだがそれはしなかった。そうすれば僕のメールアドレスを彼に伝えることができるのだが。それは、ひとつにはG君に対する複雑な思いのためだったし、もうひとつにはマスターと自分の間に店の人と客という以上の何かをつくり出したくなかったからだ。懐かしく居心地の良いコーヒーのおいしい店と自分との間を昔のままにしておきたかったからだ。