指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

文が身にしみる。

東京奇譚集」を読んでいて、文があまりにひしひしと身にしみるので驚いている。書かれている何もかもに対して自然に理解が行く感じだ。つかすごくスムーズな感触で文に想像力が追いついて行く感じだ。ぴたり、ぴたりという音が聞こえて来そうなほどだ。これからの評価を待つしかないわけだが、ひとつにはもちろんそれ自体が村上さんの狙いだからかも知れない。確かにこれまでの短編より平易にわかりやすく書かれている気がする。
でももうひとつこちら側にも理由がある。それは思いつきやふとした疑問などをそのままにせず、頭の中でブログに書けるような形に日々まとめあげていることだ。そして実際にPCに向かって毎日何事かを(そうは見えないかも知れないけど結構考え考え)書いていることだ。このことの意味はとても大きいように思われる。
ひとつには書くことそのものによって自分の考えが整理されるということがある。何しろ曲がりなりにも不特定の読者にさらされる可能性のある場所に書くのだから、それなりに筋の通った文章にする必要がある。そのため自分でも曖昧なところや不明なところは、はっきりさせるなり不明なら不明だと認めるなりしなければならない。この作業が自分の考えを整理するのにすごく役立つのだと思う。
もうひとつは上とつながるんだけど、とりあえず自分がどこまで進んだかがわかりやすいということがある。思いついたことをそのままにしておけばやがて忘れてしまい、それが自分にとって本質的に大切なことなら時をおいてまた同じことに気づいたりするけど、それを繰り返したところでいつまでたってもスタートラインから踏み出すことができない。でもそれを書き残しておけば、何かを思いついたときに、それについてはこの辺まで考えたことがあるな、というのを割と簡単に思い出すことができる。その分時間や労力を節約できて気分もいい。
こうしたことが思考を活性化していることはほぼ間違いない気がする。そして文が身にしみることのこちら側からの理由をかたちづくっていると思う。