指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

東京奇譚集。

東京奇譚集
昨日の記事で誰にも労われないと書いたけど家人は別で、疲れているみたいだから今日は子供の面倒を見ると宣言し、10時半頃家を出て新宿駅まで最近導入された小田急の新型ロマンスカーVSEを見せに子供を連れて行ってくれた。午前中いっぱいと子供の昼寝の時間をまるまる読書に当てることができた。それで読みさしだったグレイス・ペイリーの「人生のちょっとした煩い」の残りを最後までと、村上春樹さんの「東京奇譚集」の最初の三編を読んだ。
「人生のちょっとした煩い」は、僕はあまり読んでないんだけどレイモンド・カーヴァーの小説に似ている気がした。以前「最後の瞬間のすごく大きな変化」を読んだときにもそんな気がした憶えがある。でもそれは本当に当てにならない感想だ。アメリカの短編小説なんて数えるほどしか読んでないからね。ミルハウザーみたいにすごく独自な短編を除けばみんな同じに思えているだけかも知れない。村上さんが知ったら残念がりそうなコメントだ。すいません。
東京奇譚集」は最初の一編「偶然の旅人」の語り起こしが「回転木馬のデッド・ヒート」を思わせる。これはみな実話だ、ということを筆者が筆者としての立場から保証している点で共通している。「回転木馬・・・」の方はそう書きながら実はみんな創作だとどこかで読んだ気がするんだけど、まあそういうことにはあまり興味がない。どちらにしても個人的には全面的にフィクションとして読んでしまうからだ。ただ「偶然の旅人」の中の村上さん自身が体験したシンクロニシティー(って言うんだっけ?)のエピソードふたつと、それを座談の席で語っても聞き手からはなまぬるい反応しか返ってこない、というところはかなりな程度事実を含んでると見なしていい気がする。でもその後は別にフィクションとして読んでも全然差し支えない。*1
三編を読んだところでは、奇譚というよりテーマは哀しみなのではないかという気がする。

*1:あと、作品とは何の関係もないんだけど、語っても聞き手からなまぬるい反応しか返ってこない、というのは個人的にすごくよくわかる気がした。他ならぬこのブログを書き始めるきっかけのひとつがそういうことだったからだ。