指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

町田康さんの作品を初めて読んだ。

くっすん大黒 (文春文庫)

くっすん大黒 (文春文庫)

作家の平山瑞穂さん*1に以前お勧めいただいたので遅くなったが読んでみた。いやあこの作家の小説をもっと読んでみたいと思った。おもしろい。
読んでいて何を思いだしたかと言うと、太宰治漱石の「坊ちゃん」、村上龍さんの「69」といくつかの作品、それにつげ義春さんの作品だった。町田町蔵という名前でパンクをやっていたことは知っていたけどもともとパンク自体よく知らないし、そちら側からの影響があるかどうかは判断できなかった。
以下に書くような要素分けをしても何も言ったことにならないんじゃないかとも思うけど、どうせ大した感想でもないのでとりあえず要素に分けてみて、その先に何か言えることがあったら言うという感じで行く。
太宰治に似ているのは主人公の自分への評価だと思えた。自分はすごく突き詰めて言えば駄目なんだという声が似ている。捨て鉢になって開き直ってみても最後の最後では至極まともな倫理観みたいのを捨てきれない。そういう主人公の姿が太宰治の作品を思わせる気がした。
漱石に似てるのはユーモアの部分だ。村上龍さんに似てるのは会話のリズムと、それから会話の内容がずれて行くそのずれて行き方だ。あと書き手が自分を取り巻く世界を眺めるときの距離感みたいなのも、存外似ているのではないかという気がする。つげ義春さんを思わせるのは、ふたつの選択肢があったら必ず駄目そうな方を選んでしまうことだ。もうちょっとマシな選択もありそうなのに駄目な方へ駄目な方へと流れて行く、その選び方が似ている。
と書いてきて結論に困るかと思ったら苦し紛れにいいアイディアが浮かんだ。いろいろな要素を含んでいるにもかかわらず町田さんの作品はそのどれともまるで似ていないというのがそれだ。収録作二作の冒頭の一文を読むだけでそれがわかる。
もう三日も飲んでいないのであって、実になんというかやれんよ。(「くっすん大黒」)
おおブレネリ、あなたのおうちは何処? (「河原のアパラ」)
こんなの見たことねーよ。そしてその見たことのない世界が展開されるのを何とか自分なりに理解しようとして、既知の作品になぞらえたのが今日の記事ということになる気がする。
それとすごく見事だと思ったのが、「河原のアパラ」の中の天田はま子という人物のつくり方と彼女が職場の職務遂行を妨げるそのやり方についての文章だ。おそらくこういう人物はスケールの差こそあれどこの職場にもいて僕たちはそいつを何とか弾劾できないものかと日々勝ち目のない戦いを続けている。なぜ勝ち目がないかと言うと、どう表現しても話題として矮小になってしまい愚痴や陰口にはなっても声を大にして言うほどの主張にはなりにくいからだ。でもそれが矮小なまま見事に作品の中に根付いている。これはすごかった。ややニュアンスが異なるかもしれないが、似たような見事さは「くっすん大黒」の中の桜井という人物のつくり方にも発揮されていたと思う。