指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

あのお兄ちゃんよりお前の方が上手に泳げるよ。

先日区民プールである父親がそういう風に自分の娘に言い聞かせながら指導していた。根拠はそのお兄ちゃんのばた足は膝が曲がっているけどお前のは膝の曲がらないきれいなばた足だから、ということだった。僕の耳にその言葉が飛び込んだのは、彼らと僕がひどく近い位置にいて彼方をばた足で進んで行くうちの子供をほぼ同じ位置から眺めていたからだった。
まあ細かい話なので賛否両論はあろうが、僕ならそういう言い方はまずしない。誰々に比べてお前の方が優れているという方向で子供に何かを話したことはないし、これからもそういうことは言わない。もっとうまい泳ぎ手がいたときは積極的にあのお兄ちゃん、お姉ちゃんは上手だね、こういうところがうまい、と言ったりするけど子供はまだ抽象的に泳ぎを捉えられるほど習熟していないし、言ってもほとんど無駄だ。無駄という点では先の父親も僕も同じ効果しか上げていない訳だが、僕は見習えとは言っても見下せとは言わない。
この体験があってから意識して子供に対する指導を緩めた。もともとそんなに厳しい訳ではなかったが、あるときまあいいよそんなに急いでいろいろできなくたって構わないんだから、ゆっくりできるようになればいいんだから、という言葉が口をついて出た。子供は少し考えた後、ありがとう、と言った。胸を突かれた。