指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

鉄道オオヤマ線のお話。

子供が架空の鉄道オオヤマ線の話を最初にし始めてから一年近く経つと思う。初めはオオヤマ線にはオオヤマ駅やアカヤマ駅などがあって新幹線や特急も走っているといった程度の話だった。それが朝幼稚園に送りがてら話をしたり休みの日の散歩で話したりするうちにだんだん手が込んできた。例えばオオヤマ駅の近くには大きな水族館があって、そこには様々な架空の魚が展示されている。その魚たちの姿は子供の描く絵とリンクしている。あるいはオオヤマ駅にはいろいろな怪獣が出現しそのうちの一匹はアキステノハミーデルという名前で子供によるとウルトラマンと自分の名前を合わせてつくったスーパーヒーローがオオヤマ線の防衛に当たっている。オオヤマのテレビでは架空のロボットものの番組が放映されていてそれに登場するロボットのすがたかたちは子供がブロックを使って組み立てるものとリンクしている。などなど。要するに現実ではかなえられない様々な願望や思いつきを子供はオオヤマ線のお話の中に詰め込んでいることになるようだ。
お話を語るには語りたいという思いと語る具体的な内容とのふたつが必要になる。ニーチェの「悲劇の誕生」の有名な二項に従えば前者をディオニュソス的、後者をアポロ的と言えばいいだろうか。吉本隆明さんに拠れば前者を自己表出、後者を指示表出と呼んでいいと思う。そのどちらもが子供の小さな心に備わっていることに思い至ると何だか不思議な気がする。子供の心は構造的には大人とまったく変わりないのかも知れないと思われるからだ。そんなことは当たり前かも知れないが、それが展開する光景を目の当たりにすると改めて不思議な思いにとらわれる。
今日はオオヤマ駅近くに住む子供の父上と母上(子供の言葉に拠る)の話を聞かせてくれた。父上は本屋さんを営んでいて、子供がガンプラをつくるのを手伝ってくれるそうだ。ただし土曜日は仕事が無くてぐうたらなのだそうだ。この辺は現実が微妙に反映されている。母上はガンプラの熱狂的なファンで、子供がつくったガンプラを横取りしては部屋に飾っているのだそうだ。僕のなのに、と非難がましい口調で言う。この辺は何を考えているんだかよくわからないところだ。いずれにせよ鉄道オオヤマ線のお話を見出したことは、子供にとってとてもいいことなんじゃないかと僕は思っている。